飯田線「トロッコファミリー号」の変遷1 最終更新日:2005/08/11

魅力発見・飯田線

 トロッコ車と呼ばれる窓のない遊覧客車を連結した「トロッコファミリー号」。緑溢れる飯田線沿線の清涼な空気と視界一杯の展望が堪能できるこのユニークな列車も、登場から間もなく20年にもなろうとしています。ここでは「トロッコファミリー号」の成り立ちについて、主に列車編成の移り変わりを中心に振り返ってみることにしましょう。

1985〜86
昭和60〜61年

【前史】「清流ながら号」国鉄越美南線で運転開始

・「トロッコファミリー号」の前身となる車輌誕生

編成例
(下り列車の場合)

←美濃太田側

美濃白鳥側→

機関車

オハフ46 2027

トラ91388

トラ91402

トラ91818

オハフ46 2009

DD16形

←車掌室・便所→

←便所・車掌室→

DE10形


 国鉄末期に全国各地のローカル線に誕生し、現在でも路線によっては観光の目玉ともなっている「トロッコ列車」ですが、その全国的なトロッコ列車ブームの起源となったのは、四国の四万十川沿いに走る国鉄予土線で1984(昭和59)年7月より運行が開始された「清涼しまんと号」でした。もともと木材などを輸送するための無蓋貨車に簡易な屋根と椅子を取り付けて「遊覧客車」とし、定期列車として走行する気動車(ディーゼルカー)に連結して走るという身軽な編成でした。

 「清涼しまんと号」の好評を受け、1985(昭和60)年7月には予土線に続く国鉄線第2のトロッコ列車「清流ながら号」が、長良川沿いに走る岐阜県の国鉄越美南線(現・長良川鉄道)で走り始めました。気動車併結である「清涼しまんと号」に対し、「清流ながら号」は機関車が一般客車2両とトロッコ車3両を牽くと言う堂々たる専用編成で、夏期の臨時増発列車として好評を得ました。

「トロッコファミリー号」の前身「清流ながら号」

▲「トロッコファミリー号」の前身「清流ながら号」
【美濃太田駅・1985/08撮影】

 トロッコ車はトラ90000形と呼ばれる、もともと製紙材料に使われるチップ(木片)を輸送していた木造無蓋貨車を改造したもので、野趣あふれる雰囲気を演出するためあえて貨車時代の雰囲気を崩さぬよう、木製のベンチやテーブルの設置、天井となるホロの設置など簡易な改造でまとめられています。

 両端に連結される客車はオハフ46形と呼ばれる昭和20年代製造の急行型客車で、アルミサッシ化改造や室内の化粧板貼付けなど近代化改造がなされてはいるものの、手動開閉の扉や冷房がなく天井の高い客室など、古き良き時代の客車の面影を存分に残した車輌でした。

 運転2年目となる1986(昭和61)年には、これまで青色一色だった客車に動物など各種キャラクターのペイントが施され、専用列車としての色彩を濃くしました。しかし同じ1986(昭和61)年12月、越美南線が第三セクター「長良川鉄道」へと移行し、トロッコ車輌の継承がなされなかったことから、「清流ながら号」としての運転はこの年が最後となってしまいました。現在長良川鉄道で使用されているトロッコ列車は、第三セクター化後に新たに揃えられた車輌です。

▲「清流ながら号」トロッコ車内部
【美濃太田駅・1985/08撮影】


1987
昭和62年

■「トロッコファミリー」号、飯田線で運転開始

・国鉄末期3月のイベント運転を手始めに、飯田線の観光列車として定着

編成例
(下り列車の場合)

←豊橋側

中部天竜側→

機関車

オハフ46 2027

トラ91388

トラ91402

トラ91818

オハフ46 2009

DE10形

←車掌室・便所→

←便所・車掌室→

 
 国鉄越美南線の第三セクター移行で継承されなかったトロッコ列車は、新天地での活躍を余儀無くされました。そこで「清流ながら号」の編成をそのままで飯田線に転用し、国鉄民営化直前の1987(昭和62)年3月にイベント列車として飯田線豊橋〜中部天竜間で運転されたものが「トロッコファミリー号」の始まりです。

 運転当初は越美南線時代と同様にディーゼル機関車での牽引でした。その頃すでに飯田線南部では貨物輸送が廃止されており、電気機関車の配備がなくなっていたための措置でした。この体制は1989(平成元)年まで続きます。

 1987(昭和62)年4月1日には国鉄分割民営化が実施され、飯田線はJR東海に引き継がれました。そして夏の臨時列車として、「トロッコファミリー号」の継続的な運転が開始されました。車輌は基本的に国鉄時代と変わりありませんでしたが、越美南線時代より客車の幕板に書かれていたJNRマークが消されています。

 トロッコ車乗車の場合に座席指定券が必要な点は現在でも変わりませんが、客車のみに乗車する際は飯田線の駅で枚数限定の「客車整理券」(無料)を発行してもらうシステムでした。トロッコの座席数に対し客車側の定員に余裕があったための措置ですが、わざわざ整理券を求めてまで客車だけに乗る人は少なかったためか、次回運転時より1992(平成4)年までの間は、客車のみ利用の場合は乗車券のみで利用(自由席)できるということになりました(当時は座席指定券はトロッコ車のみ有効)。

 当時は列車走行時・停車時ともに案内アナウンスや地元の民謡などの音楽が鳴りっぱなしで、ある意味息もつけないような雰囲気がありました。また車内販売が乗車したり、乗客一人一人に「トロッコファミリー号乗車証明書」を発行するなど、観光列車として力を入れていたことが伺えます。

新城駅に入線する下り「トロッコファミリー号」

▲新城駅に入線する下り「トロッコファミリー号」
【1987/11/07撮影】

東上駅に停車中の下り「トロッコファミリー号」

▲東上駅に停車中の上り「トロッコファミリー号」
【1987/08/15撮影】

大海〜鳥居間を走る「トロッコファミリー号」

▲大海〜鳥居間を走る「トロッコファミリー号」
【1987/07/26撮影】

「トロッコファミリー号」に使用のトラ90000形

▲「トロッコファミリー号」に使用のトラ90000形
【1987/08/15撮影】


1988
昭和63年

■「トロッコファミリー」号2年目

・ヘッドマークも新調、ますます好評の「トロッコファミリー号」

編成例
(下り列車の場合)

←豊橋側

中部天竜側→

機関車

オハフ46 2027

トラ91388

トラ91402

トラ91818

オハフ46 2009

DE10形

←車掌室・便所→

←便所・車掌室→


 1987(昭和62)年夏の臨時列車として運転された「トロッコファミリー号」は好評を収め、翌1988(昭和63)年は3月下旬より運転が開始されました。

 編成やダイヤなど昨年と目立った違いはありませんが、新しいデザインのヘッドマークが用意されたことと、客車だけに乗車するための「客車整理券」が廃止され、トロッコ車に乗らずに客車だけ利用したい場合は自由席として、乗車券のみで利用できるようになりました。

 これにより地元の人にとっても、列車がない時間帯に快速列車代わりにも使えるというメリットが付加されました。実際にはわざわざ客車のみ乗車するという乗客は極めて少なく、もともとトロッコの座席数に対し客車の定員数に余裕があったことから、多少の乗客増は問題にならなかったものと思われます。

豊川駅に停車中の下り「トロッコファミリー号」

▲豊川駅に停車中の下り「トロッコファミリー号」
【1988/03/27撮影】


●次は 「トロッコファミリー号」の変遷2 です●

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