飯田線ヒストリー【1997年】 最終更新日:2005/07/01

魅力発見・飯田線

飯田線ヒストリー・1997(平成9)年〜掲載内容

▼[行事] 飯田線全通60周年キャンペーン開始【1997/01/01〜12/31】
▼[施設] 木ノ下駅新待合室完成【1997/01/31】
▼[行事][車両] 伊那松島運輸区第10回撮影会でモハ1形復元車展示【1997/02/22〜23】
▼[運転] 《60周年記念》今年も「レトロ列車」走る【1997/03・1997/05・1997/08】
▼[運転] 名古屋直通臨時特急「伊那路81・82号」運転【1997/05/03〜04】
▼[運転] 《60周年記念》旧型車クモハ12形を定期列車に投入【1997/03・1997/05】
▼[沿線] 田切駅旧駅舎位置に「田切駅舎跡記念碑」建立【1997/06/01】
▼[行事] 《60周年記念》佐久間レールパークで「シンポジウム 飯田線を語る」開催【1997/08/02】
▼[行事][運転] 《60周年記念》南北双方より「快走クイズ列車」運転【1997/08/10】
▼[行事][運転] 《60周年記念》夏にも「飯田トロッコ」運転【1997/08/12〜16】
▼[行事][運転] 《60周年記念》飯田〜大嵐間「飯田線全通60周年記念号」運転【1997/08/20】
▼[行事][施設] 《60周年記念》大嵐駅新待合室「みんなの休む処」完成式典【1997/08/20】
▼[施設] 小町屋駅待合室改築【1997/10頃】
▼[施設] 門島駅旧駅舎解体【1997/12】

▲1996(平成8)年

▼1998(平成10)年

 

■飯田線全通60周年キャンペーン開催

・1997(平成9)年1月1日〜12月31日

 飯田線建設で最後の区間となった大嵐〜小和田間が開通したことにより豊橋〜辰野間が全通したのが1937(昭和12)年8月20日、それから60周年を迎えたということで、1997年1月より12月末日まで、「魅力を秘めた飯田線、歴史とともに60年」をキャッチフレーズに飯田線60周年キャンペーンが始まりました。

 記念パンフレットの作成・配付や記念グッズの販売、温泉スタンプラリーの実施、また記念列車の運転など1年をかけて各種行事が開催されました。

▲小和田駅に建てられたキャンペーン看板
【1996/12/22撮影】


■木ノ下駅新待合室完成

・1997(平成9)年1月31日

 木ノ下駅では国鉄時代の木造駅舎が無人化後も使用されてきましたが、1997(平成9)年1月に隣接地にコンクリート製の新待合室が建設され、旧駅舎は解体されました。
 新待合室は方形屋根のあずま屋のような造りで、完成当初はコンクリート打放しの外観でしたが、1997(平成9)年6月には壁面を白ペンキで塗られています。

木ノ下駅旧駅舎

▲木ノ下駅旧駅舎
【1994/08撮影】

木ノ下駅新待合室

▲木ノ下駅新待合室
【1997/06撮影】


■伊那松島運輸区第10回撮影会でモハ1形復元車展示

・1997(平成9)年2月22〜23日

 JR名古屋工場で復元工事の行われていた旧モハ1形電車(1035号)が1997(平成9)年1月に竣工し、同年2月22〜23日に開催された「伊那松島運輸区・第10回撮影会」で披露されました。

 旧モハ1形1035号は1921(大正10)年に製造された鉄道省標準型の木造電車で、首都圏の通勤輸送に使用された後、飯田線中部の前身である三信鉄道へ譲渡され、デ307号として活躍しました。

 飯田線国有化後も引き続き飯田線で使用されたものの、木造のまま鋼体化工事の対象から外れたことから1952(昭和27)年に廃車となり、大井川鉄道へ譲渡されました。

 大井川鉄道ではモハ300形301号として使用されましたが、木造の老朽車両であったことから活躍期間も長くなく、駅構内に留置される日が続きました。しかし当時すでに大正期の面影をとどめる貴重な車両であったことから、解体だけは免れ平成の日を迎えました。

 JR東海ではこの貴重な車両を大正当時の姿に復元し保存することとなり、大井川鐵道から買い取りの上で名古屋工場での復元が始められました。復元にあたっては単に外観の維持にとどまらず、車両製造技術伝承との立場からできる限り製造時に忠実な材料および工法で再現されています。

 復元車は常時伊那松島運輸区内の車庫で保管されていますが、通常の一般公開はせず、運輸区祭りなどイベント開催時に限定して公開する形となっています。 

▲モハ1形外観
【1997/10/19撮影】

▲モハ1形車内
【2002/11/03撮影】


《60周年記念》今年も「レトロ列車」走る

・1997(平成9)年3月/5月/8月

 1995(平成7)年より運転を開始し、鉄道ファンの間で大好評だった旧型客車使用列車(通称レトロ列車)が本年も飯田線全通60周年記念行事の一環として運転されました。

 まずは3月21〜22日に「レトロ奥三河」号として、走り慣れた豊橋〜中部天竜間をそれぞれ往復しました。21日にはED18形、22日にはEF58形(157号)と機関車も両日で交代のうえ運転されました。

 また5月の大型連休中(5月3〜4日)には新たに「レトロ飯田」号として、飯田線北部の伊那松島〜天竜峡間でも運転されました。さらに8月中にも「レトロ奥三河」号の設定があるなど、乗車するファン、撮影するファンで飯田線が大いに賑わった1年でした。

▲元善光寺駅停車中の「レトロ飯田」号
【1997/05/04撮影】

「レトロ奥三河」号停車駅と時刻(1997年3月21〜22日運転)

9825レ

9:47→

10:01→

10:27→

10:53→

11:08→

11:20→

12:02着

豊橋

豊川

新城

本長篠

湯谷温泉

三河槙原

中部天竜

9826レ

16:53着

←16:42

←15:53

←15:23

←15:13

←15:06

←14:11


「レトロ飯田」号主な停車駅と時刻(1997年5月3〜4日運転)

9826レ

12:40着

←12:15

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←11:56

←11:27

←11:16

←10:37

←10:25

←10:08

←9:38

←9:20

天竜峡

伊那八幡

飯田

元善光寺

市田

伊那大島

七久保

飯島

駒ヶ根

伊那市

伊那松島

9823レ

14:59→

15:14→

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15:32→

15:37→

15:49→

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16:30→

16:51→

17:16→

17:41着


■名古屋直通臨時特急「伊那路81・82号」運転

・1997(平成9)年5月3〜4日

 1997(平成9)年5月、381系電車4両編成を使用した名古屋直通の臨時特急「伊那路」81・82号が運転されました。

 81号と82号は当日の折り返しではなく別運用で運転され、81号は朝に名古屋を出発し、豊橋より伊那路1号の約1時間後を続行するダイヤで運転されました。一方82号は飯田朝発の上り列車ということで、これまでに特急列車の運転されたことのない時間帯であることから、地元新聞にも取り上げられるなど話題を呼びました。

 飯田線では381系は団体臨時列車としての運行は過去にあったものの、一般営業の特急列車での運行は初めてのことで、かつグリーン車連結ということで注目を集めました。また381系は通常の電車に比べ車体が長いことから、一部の駅では専用の停止目標を設置して今回の運行を迎えました。

 今回の春は「伊那路」81・82号運転のほかにも、一部「伊那路」の飯田〜駒ヶ根間延長や豊橋〜大垣間延長など、乗客増を狙ってのさまざまな試みが実施されました。

臨時特急「伊那路」81号

▲臨時特急「伊那路」81号(時又駅)
【1997/05/04撮影】

特急「伊那路」号主な停車駅と時刻(1997年春)

伊那路1号

9:05→

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9:29→

9:40→

10:13→

10:47→

11:13→

11:29着

11:47→

12:23着

伊那路81号

9:00→

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10:11→

10:29→

10:41→

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12:39着

伊那路3号

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14:51→

15:06着

大垣

名古屋

豊橋

豊川

新城

本長篠

中部天竜

平岡

天竜峡

飯田

伊那大島

駒ヶ根

伊那路82号

10:31着

9:35着

←9:27

←9:08

←8:57

←8:22

←7:47

←7:17

←7:02

伊那路2号

17:42着

17:08着

16:11着

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←15:01

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←13:42

←13:19

←12:44

伊那路4号

18:11着

←18:02

←17:49

←17:37

←17:04

←16:29

←16:02

←15:47

※伊那路2・3号の豊橋〜大垣間延長は1997年3月22〜23・29〜30日、4月5〜6・12〜13日運転
※伊那路1・2号の飯田〜駒ヶ根間延長は1997年4月19〜20・26〜29日、5月3〜5日運転
※伊那路81・82号は1997年5月3〜4日運転
【出典:弘済出版社中部編時刻表97年春号】


《60周年記念》旧型車クモハ12形を定期列車に投入

・1997(平成9)年3月/5月

 飯田線全通60周年記念行事の一環として、1997年3月28〜30日および連休中の5月3〜5日に、通常は臨時列車や団体貸切列車でしか使用されないクモハ12形旧型電車が定期列車として天竜峡〜飯田間で運用されました。

 飯田線での旧型電車の一般営業運転は1983(昭和58)年6月30日を最後に終了していただけに、14年ぶりの一般客乗車列車には新鮮な印象がありましたが、もともと輸送力の小さいクモハ12形であるうえファンも大勢乗車し、列車によっては積み残しも生じるなどこの車両を定期運用に使う難しさを感じさせられました。

 

▲天竜峡駅で特急「伊那路」号と並ぶクモハ12形
【1997/05/03撮影】


■田切駅旧駅舎位置に「田切駅舎跡記念碑」建立

・1997(平成9)年6月1日

 田切駅の開設当初は現在より北側の切通しに駅が設置されていましたが、彎曲したホームによる電車との隙間や前方確認の際に危険であるため、南方の現在地に新しいホームを築き、1984(昭和59)年6月1日より現在の位置での営業を開始しました。

 もともと田切駅の用地は地元に住む地主の方のものであったため、駅舎の跡地は返却され畑になりましたが、飯田線が全通60周年を迎えた年である1997(平成9)年6月1日になって地主の方により「田切駅舎跡記念碑」が建立されました。

 記念碑に刻まれた内容など田切駅に関連する詳細は[▼飯田線各駅停車【田切駅】]および新旧対比写真[▼田切駅新旧交代]をご覧願います。

田切駅舎跡記念碑

▲田切駅舎跡記念碑
【1997/06撮影】


《60周年記念》佐久間レールパークで「シンポジウム 飯田線を語る」開催

・1997(平成9)年8月2日

 1997(平成9)年8月2日、飯田線全通60周年記念行事の一環として、中部天竜駅構内の「佐久間レールパーク」2階を会場として「シンポジウム 飯田線を語る」が開催されました。パネリストとしてJRや沿線自治体の関係者が呼ばれたほか、飯田線のファンとして当時唯一のインターネットでの飯田線関連サイト「JR東海ファンクラブ(現:JR東海ネット)」を開設していた管理人大澤さんと、自費出版書籍「飯田線各駅停車の旅」を刊行していたということで私自身も招かれました。

 各自が5分程度で「飯田線への思い」を語る形式で、私自身の主張は「三遠南信自動車道」になぞらえた「三遠南信歩行者道」構想、すなわち飯田線沿線に遊歩道を張り巡らせ、ウォーキングの場としての飯田線活用を提唱するものでした。後日この「三遠南信歩行者道」構想は信濃毎日新聞1面のコラムにも掲載されました。 


《60周年記念》南北双方より「快走クイズ列車」運転

・1997(平成9)年8月10日

 1997(平成9)年8月10日、飯田線全通60周年記念行事の一環として「快走クイズ列車」が豊川・伊那松島から飯田に向けて運転されました。

 豊川・伊那松島の両駅でそれぞれ公募された60名ずつの参加者を乗せ、車内で飯田線や沿線地域に関するクイズを行いながら飯田で双方の参加者が合流し、飯田駅前のアイ・パークで決勝戦を行うという企画です。豊川からは「ゆうゆう東海」、伊那松島からは「ユーロライナー」の3連が使用されました。

 また運転日を挟み1997(平成9)年8月9〜10日に行われた伊那松島運輸区の第12回撮影会では、伊那松島発着となるユーロライナーを撮影することもできるイベントとなりました。


《60周年記念》夏にも「飯田トロッコ」号運転

・1997(平成9)年8月12〜16日

 1989(平成元)年より主として春または秋に運転されてきた飯田線北部のトロッコ列車(1993(平成5)年より「飯田トロッコ」号として運転)ですが、本年は飯田線全通60周年記念行事の一環として初めて夏期休暇中に運転されました。また8月12〜16日と5日間にわたって連続運転されたのも今回が最初となりました。


《60周年記念》飯田〜大嵐間「飯田線全通60周年記念号」運転

・1997(平成9)年8月20日

 1997(平成9)年8月20日に飯田線が全通したから60周年を迎えるのを記念して、飯田〜大嵐間にクモハ12形旧性能電車を使用した団体貸切列車「飯田線全通60周年記念号」が運転されました。

 60年前の1937(昭和12)年8月20日には小和田〜大嵐間の開通を最後に飯田線が全通したことから、記念列車の運転区間も飯田から小和田を経由して大嵐までとされました。

 終点大嵐駅ではこの日に竣工となる大嵐駅新待合室「みんなの休む処」の竣工式典が行なわれた後、参加者でホーム上に植樹を行ない、その後バスを利用して湯の島温泉での入浴を楽しみました。

大嵐駅停車中の「飯田線全通60周年記念号」

▲大嵐駅停車中の「飯田線全通60周年記念号」
【1997/08/20撮影】


《60周年記念》大嵐駅新待合室「みんなの休む処」完成式典

・1997(平成9)年8月20日

 1997(平成9)年8月20日、前述の団体貸切列車「飯田線全通60周年記念号」の運転に合わせ、大嵐駅でかねてから建設されていた新待合室「みんなの休む処」の竣工式典が行なわれました。

 「みんなの休む処」は大嵐駅を村の玄関口として利用している愛知県 北設楽郡 富山村(2005年11月27日に北設楽郡 豊根村に吸収合併予定)が建設費を負担して旧駅舎を建て替えたもので、外観はレンガ風タイル貼りの鉄骨造、内装は木目を活かした瀟洒な造りです。

 日本一人口の少ない村ということで、人口最大の都市である東京にあやかり東京駅風のデザインを駅舎に取り入れたとのことです。

新待合室完成式典

▲新待合室完成式典
【1997/08/20撮影】

「みんなの休む処」外観

▲「みんなの休む処」外観
【2001/05/05撮影】

待合室内部

▲待合室内部
【2004/07/31撮影】


■小町屋駅待合室改築

・1997(平成9)年10月頃

 小町屋駅では木造開放型の待合室が1997(平成9)年10月頃まで使用されていましたが、老朽化が著しいため解体され、新たに鉄骨造の待合室が建てられました。大きさは従来とほぼ同等ですが、ベンチが連続されたものから独立のものへと変更されたため、着席できる人数は減少しています。

小町屋駅・旧待合室

▲小町屋駅・旧待合室
【1996/05/01撮影】

小町屋駅・新待合室

▲小町屋駅・新待合室
【1997/10/25撮影】


■門島駅旧駅舎解体

・1997(平成9)年12月

 三信鉄道の駅として1932(昭和7)年に開設以来、65年に渡って使用されてきた門島駅の木造駅舎が解体されました。当時の面影を残す貴重な建造物として、地元でも解体を惜しむ声が新聞に掲載されたことがあったものの、まずは駅務室の一部が新たな保線詰所の用地として解体された後、残った待合部分も解体されました。

 駅舎解体とともにホーム上の木造待合室も解体され、新しい和風の造りを活かした木造の待合室に建て替えられました。 

解体の開始された旧門島駅舎

▲解体の開始された旧門島駅舎。
手前に新しい詰所のための基礎が見える
【1997/11/16撮影】

建物の一部が解体された旧門島駅舎

▲建物の一部が解体されて短くなった旧門島駅舎
【1997/11/16撮影】


●次は 飯田線ヒストリー・1998(平成10)年 です●

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●総目次

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