ヴァンパイアハンター絶林

作:七輪


ヴァンパイアハンター絶林


「んっ……んっ……」 

 秘めやかな声と水っぽい音が、暗い室内へ静かに響く。ベッドへ腰掛けた男の股座へ顔を埋め、
熱心に愛撫を繰り返しているのは、この屋敷のメイドだ。 

「うむ、さすがはハロルド家……メイドも仕付けがなっておるわい。ぬふふふふ……」 

 恍惚と笑った男は、年のころ四十ほど。ざんばらに伸ばした髪と髭がどちらかと言えば見苦しく、
真っ黒い袈裟を着ていなければとても僧侶には見えない。 

「いかがでしょうか? 絶林様」 

 メイドが一物から口を離し、竿へ舌を這わせながら上目遣いに見た。
 絶林と呼ばれた僧侶はしまりない口元のまま、深々とうなずく。 

「口の中がひんやりとしておって気持ちええぞ。身を投げ打っての功徳、主は必ずや極楽浄土へと辿り着けるであろう」 

「まあ。でも絶林様、わたくしは天国へなどいきとうございませんの」 

「うむ? それは奇異なること」 

「お嬢様を……お嬢様をお守りください。わたくしなど地獄へ落ちても構いませぬ。どうか、お嬢様だけは」 

「……哀れな」 

 絶林の好色な目に、一瞬真剣なものがよぎった。メイドの肩をつかみ、立ち上がらせる。 

「この絶林、しかと承っておる。主の忠誠は心に響くものがあるぞ。儂からも施しをくれてやろう」 

 スカートの中へ無遠慮に手を差し入れ、はっと閉じようとする太ももの付け根に、絶林はずぶりと指を埋め込んだ。
 しびれるような冷たさが滴り落ちる。 

「あっ……!」 

「ぬふふふふ。まるで氷の泉じゃ。溢れる蜜は清水のごとし」 

 指を掻き回すたび、メイドは切なげな声を上げ、ついに立っておれず絶林の肩へしなだれかかった。 

 荒い息を耳元で感じながら、絶林の笑みは絶えない。 

「さぁ儂からの功徳じゃ。主の欲しいものをくれてやろう。んん? これが欲しいのではないか?」 

 もう片手でメイドの手を導き、自身の一物を握らせる。メイドはそれをぎゅっとつかみながら、しかし首を振った。 

「それよりももっと欲しいものがあるのです」 

「うむ? 申してみよ」 

「あたたかくて……脈打った……」 

 はぁ、と首筋へかかる息。 

「あなたの血潮よ!」 

 ぐわっと牙を剥いたメイドが、絶林の首筋へかぶりついた――そう見えた瞬間、絶林の姿はベッドの上から消えていた。 

 空振りした牙をカチカチと鳴らしながら、メイドは周囲を見回す。 

「この屋敷、もはやここまでやられておったとは……。南無阿弥」 

 声は天井から降ってきた。 

 まるで蜘蛛のように天井へ張り付いた絶林が、片手で数珠をすり合わせて念仏を唱えている。 

「しゃぁっ!」 

 蛇のように喉を鳴らし、メイドがそれに飛び掛る。 

 絶林はひらりとかわしざま、空中で蹴りを食らわせた。どのような力が加わったものか、

 直角に跳ね飛ばされたメイドは轟音を上げて壁に激突する。 

「いかがなされた!」 

 騒ぎに気づいた屋敷の者が、バタバタと部屋へ駆け寄ってくる音がする。絶林は叫んだ。 

「来るでない! まこと、滅法の世よのぅ」 

 にやりと笑う。手にはいつの間にやら、錫杖が握られている。 

 メイドが唸りをあげて壁から身を起こした。『お嬢様』を案じていた表情は悪鬼と化している。 

「わずかなりとも理性が残っておったのが心苦しいところではあるが――滅せよ!」 

 投げつけた錫杖はメイドの胸を貫き、壁へ突き刺さった。 

「ぎゃあああああ……」 

 断末魔の声もわずか、メイドの姿はぼろぼろと灰になって崩れていく。絶林は手を合わせて礼をした。 

「まだ、おるな」 

 素早く壁へ近づき錫杖を抜き取ると、風を巻いて廊下へ飛び出す。
 黒い袈裟がはためき、その姿が食堂ホールへ至った頃、悲鳴が屋敷を揺らした。 

「むぅ」 

 食堂ホールでは白いドレス姿の少女が、口元を血まみれにして微笑んでいる。その足元には給仕らしき男が倒れていた。 

「シャルル!」 

 絶林の後ろからハロルド家の当主が飛び出し、絶叫した。変わり果てた娘に駆け寄って抱きしめない勢いだったので、
 絶林は錫杖の先をスーツに引っ掛け、引き止める。 

「お館殿、落ち着きなされい」 

「馬鹿者、シャルルが、かわいいシャルルが――ああ!」 

 そこできっと絶林へ振り向き、 

「だいたい貴様、腕利きのハンターだと言うから雇ったと言うに、
 とんだ生臭坊主――一体シャルルがああなるまで、何をしておった!」 

「シャルル殿は拙僧が雇われる前からああであった……違うかな」 

 当主の顔に驚愕が走った。錫杖を払いのけ、声を絞り出す。 

「なぜそう思う」 

「抱けば、わかるでな」 

 顎髭を撫で撫で、絶林はそ知らぬ顔だ。当主の顔色は青くなったり赤くなったりを繰り返し、 

「貴様、シャルルを抱いたと申すか」 

「勘違いせぬよう。我が下半身に功徳を施したいと申し出たのは、お嬢様の方からじゃ。見よ、あの痴態」 

 白いドレスのシャルルは、口元の血を胸にこすりつけ、もう一方の手は恥ずかしげもなく股間にあてがって愛撫している。 

 当主は唸るような音を喉からあげるだけであった。絶林はその下半身へちらりと眼をやり、 

「お館殿、ご自身の娘に反応なさるとは、修行が足りぬようじゃな」 

「う――うるさい。私の娘だ、私がどう思おうと勝手だ」 

「なんともわからぬ理屈。しかしこれで誰が本当の吸血鬼であるかわかり申した」 

「な――」 

 びゅっと空気を裂いて錫杖が当主の方へ振り下ろされた。 

 不意打ちの一撃は、しかし恐るべき身のこなしでかわされる。当主はホールの壁へ横向きで立っていた。 

「なぜわかった」 

 先ほどまでの慌てた表情は微塵も無い。ひたすらに冷酷な眼。 

「娘がどうとかではあらぬ。吸血鬼に肉欲を感じるのは、同じ吸血鬼のみ――」 

「くくく。これは参った。なんとも生臭坊主らしい見破り方よ」 

「拙僧はどうやらはめられたようだ。いや、はめもしたから損得は無しと言うべきか。
 ならばここでおさらばいたすところであるが――」 

 しゃりん、と錫杖を鳴らし、壁の当主を見据える。 

「先ほどお嬢様を守るべしと、決意を新たにしたのでな。きっちり仕事は片付けさせてもらおう。
 お館殿、あんたを倒し、まだ完全に吸血鬼となっておらぬシャルル殿は正気に返す」 

「こしゃくな。手篭めにしておいて何を抜かすか。かかれ!」 

 当主の合図で、いずこかより様子を伺っていた館の人間が、次々と吸血鬼と化して襲いかかる。
 同時に数人が絶林を押さえつけようと飛び掛った。 

「せいっ!」 

 気合の一閃で、その全てが大きく弾け飛んだ。一瞬にして全員の急所へ錫杖を叩き込んだものと、誰が看破できよう。 

「参るぞ」 

 黒い袈裟が舞い、黒疾風としか常人には映らない速度で当主へ駆け寄る絶林。
 当主は壁から身を躍らせ、手元より何かを引き伸ばして切りかかる。 

 ぎぃん 

 二人は激突する寸前、火花を散らして飛び退った。音は一度でも、散った火花は三回。恐るべき打ち合いであった。 

「貴様、やはり只者ではあるまい」 

 当主の額からは汗が滴り落ちる。三度の打ち合いによる恐怖と緊張が、汗をかかぬ吸血鬼にそれを流させた。
 手元から伸びる長い剣――鉄をも斬るほど硬質化した爪は、木を削りだしたとしか見えぬ錫杖によって、半ば千切れかかっていた。 

「拙僧は見てのとおりの修行僧。まだまだ修行の足りぬ身よ」 

「そのようだな」 

 突如、絶林の背後から手が伸び、羽交い絞めにその体を押さえつけた。甘い吐息が香る。 

「お坊様、あたしともっといいことしましょ」 

 シャルルが絶林を押さえつけていた。当主が勝ち誇った笑みを浮かべる。 

「魔物の気配には敏感でも、なりきっていない者は把握できないと見える。さあ、シャルルを振りほどいてみろ」 

 女の細腕とは思えないほどの力が、ぎりぎりと加わっている。絶林は何を考えているのか表情に変化はない。
 つかみどころのない眼を当主へ向け、言う。 

「……先ほど拙僧が言ったことを思い返してみよ。吸血鬼に肉欲を感じるのは――」 

「そう、確かに吸血鬼だけだ。それが……」 

 ふっと、当主の顔が凍りついた。 

 まさか、と口だけで呟く当主に、絶林はうなずいてみせる。 

「拙僧がなぜ吸血鬼化が進んでおるシャルル殿を抱けたのか、見せて進ぜよう。シャルル殿、少しいただくぞ」 

 羽交い絞めにする手へ唇を寄せ、絶林はその皮膚を歯で少し裂いた。流れる血液を舌に乗せた瞬間――。 

「うおおおおうううう!」 

 絶林の眼が真っ赤に血走った。シャルルは瞬時に弾き飛ばされ、ホールの床に転がる。 

「馬鹿な――貴様には熱い血が流れていたはずだ!」 

「熱い血と冷たい血を行き来する存在を忘れたか。吸血鬼と人間から生まれ出でし狭間の者――ヴァンピールの存在を!」 

「貴様がまさかその、ヴァン……」 

「早いところ死ね! 仏罰じゃっ!」 

 振り下ろした錫杖は、受け止めようとした爪を完膚なきまでへし折り、当主の心臓へめり込んだ。 

「ぐわああああああ!」 

 風船が割れるように当主は灰と化し、一瞬残った骨もすぐにさらさらと塵芥へ帰していく。 

 ふう、と息をついた絶林の眼は、もう元通りのつかみどころの無い表情だ。 

 気を失っているシャルルの頬へ手を当て、うなずく。誰かに語りかけるように呟いた。 

「約束は守ったぞ。遠慮なく極楽へ行くがよい。――さて」 

 絶林はシャルルを抱き上げる。不敵な笑みがにやにやと口元を覆った。 

「儂も吸血鬼化すると、体が冷えてかなわんでな。一発、暖めなおしてもらうとするか」 

 ベッドルームへ消えるその姿は、どこまでも破戒僧であった。 

                            ――おわり

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