不倫温泉
作:西田三郎
■ついに来ちゃいましたね 単線のさびしい山奥の無人駅のホームに、わたしと加藤は立っていた。 加藤はうらぶれた田舎の風景にぐるりと目をやると、 「課長、自然っていいですね」と心にもないことを言った。 「そうだね」わたしは答えた。 さて、ここから旅館はしばしの距離があるのだが、この死んだような駅とその界隈では タクシーなどつかまる筈もない。 まあ、わたしも加藤も一泊分の荷物しかない訳だし、加藤の言うように「すばらしい自 然」を堪能する意味も込めて旅館まで歩くことにした。 いや、まったく、ついにこんなところまで来てしまった。 このいわゆる隠れ家的旅館のことは、男性週刊誌で知った。 あからさまに、わたしのような中年男性が、不倫相手の若い女を連れて行くために用意 されているような宿が、腐るほど乗っていた。 まあ世の中にはそれを臨む男性が多いのだろうな、と、なんとなく人事のように考えて いたが、まさか自分がそのような雑誌のお世話になるとは思ってもみなかった。 加藤は昨年入社した23歳の事務職。わたしは40を越した総務部の課長であり、加藤 の直接の上司である。なぜこれほどまでに、加藤とわたしの関係が発展したのかはわから ない。たぶん、いつぞやの酒の所為だと思うが・・・。 加藤はなんというか、気の安らぐ娘だった。 加藤の地元は関西らしく、時々イントネーションがそちらの方面を匂わせる。 明るく、素直で、冗談への反応も早い。美人っていう訳でもないが・・・・・・そうだな、わ たしくらいの年齢の男が“娘にしたい”と思わせるような娘だ。 その加藤とわたしは、今山奥の温泉に向かおうとしている。 その温泉は“不倫温泉”と陰口を叩かれている、悪名高い温泉だった。 ■ はあ・・・・・・まあいいか。 課長とこんな風な関係になったのはいつからだったっけ? まあ、あたしはお酒を飲むとよく記憶を無くすので、そのときになんかあったんだろう な、多分。 課長は職場の上司としてはいい人だけど、なんというか、少々粘着質でうっとおしいと ころがある。それは自分でも気がついていないだろう。 あたしは自分でも美人じゃないことくらい判ってるけど、何だか昔からオッサン受けが いいタイプだ。オッサンというのは、女の子が若けりゃ若いほどいい。あたしももう23 だし、そんな恩恵に預かることができるのもそろそろ潮時なのかなあ、なんて思う。 課長は嫌いなタイプではないが、好きなタイプではない。 課長はどちらかというと、でっぷりしていて、油染みていて、外見上では女子にとても 嫌われるタイプだと思う。だから、なんだか妙な話だけど、外見的には課長のことがまっ たく好きではない。 しかし、課長とセックスするのは好きだった。 っていうのも、なんというか、課長に触られるたびに、舐められるたびに、舐めさせら れるたびに・・・・・・まあ、あとはいろいろだが、わたしは何か、とんでもないものに汚され ているような気がして、それでついつい興奮しちゃうのだ。 あたしって変だろうか? あたしには今のところ決まった彼氏は居ないし・・・・・・まあこういうのもアリかな、なん て思いながら課長との関係を続けている。 あのときに”課長“って呼ぶと、あたしも彼もすごく興奮する。 だからあたしは、彼のことをいつもずっと”課長“と呼び続けている。 ・・・で、だいたいどれくらい暗い山道を歩いただろうか。 噂に訊く“不倫温泉”の光が見えてきた。 ■ ようこそ不倫温泉へ 「いらっしゃいませ、ようこどお越しに下さいました」 玄関で、まるで幽霊のような風体の年配の女将が三つ指ついて深々と頭を下げる。 いわくつきの“不倫温泉”である。わたしと加藤のような二人連れは慣れっこなのだろう。 部屋に通されて、簡単な挨拶のあと、女将が言った。 「うちは露天風呂がすばらしいですよ。自分とこのこと言うのもなんですけどね。混浴で すので、お二人でゆっくりおくつろぎになったらいかがですか」 そう言い残し、女将は早々と退出した。 わたしはいきなり加藤を抱きしめると、その唇に吸いた。 「・・・・・・ちょっと・・・ちょっと・・・課長、まだ来たばっかりじゃないですか」加藤はあくま でわたしのことを“課長”と呼ぶ。それがますますわたしを興奮させた。 わたしは加藤のコートを脱がせながら、そのまま首筋に吸い付いた。 そして薄いセーターの上から、まんべんなくボリュームのある胸を揉む。 「・・・や・・・・・・やだ・・・・・・まだ早いですよ、そんないきなり」 「・・・・・・おれはもうこうなってんだよ」そう言って加藤の手をズボンの股間に導いた。 「・・・・・・ひっ・・・・・・すごい・・・」加藤が身をすくめて言う。 実のところ駅を降り立ったときから、すこしずつ勃起が始まっていたのだ。 わたしは42歳。いや、そんなことは何の関係もない。 なんとか加藤を畳の上に組み伏せ、セーターをまくり上げる。この一泊旅行のために購 入したのか、高価そうな新しいブラジャーだった。 「・・・・・・・ダメですよ・・・・・・ダメですってば課長」 毎度のことながら加藤の義務的な抵抗には、耳から血を吹くくらい興奮させられた。 スカートのホックをはずし、スカートを抜き取る。 ストッキングは履いておらず、ブラジャーとセットであるパンツが露になった。 なんとまあ、すばらしく、このような火遊びにはもってこいの体をしていることか。 加藤は恥ずかしそうに顔を背けていたが、その大きな胸、少し脂肪がのっかてはいるけ れども不恰好ではない腹、そして重量感のある太もも・・・・・・わたしはいつもの5倍は軽く 浴場した。 その半裸身にむしゃぶりつかんとしたところだった。 「・・・かちょう」加藤が耳元でささやいた「この続き、お風呂でしません?」 すばらしい提案だと思ったので、わたしはそれに同意した。 ■ 露天の夕べ まったく、課長のアホみたいな欲情の爆発にはいつも呆れてしまう。 この前なんか、買ったばかりのストッキングを破られたり、ひどい時は会社の屋上で、あ わやバックから挿れられるところだった。 まるであたしが16の時に付き合っていた当時の彼氏と一緒だわ。 浴衣に着替えて、浴衣姿を課長に見せた。課長はうれしそうだった。たぶんまた、劣情 モードが全開になってるんじゃないかな。何だか知らないけど、浴衣を脱がすのって男の 人にとってはすげーいやらしいことらしいし。 課長も浴衣に着替えて、露天風呂に行った。 と、そそくさとカップル二人連れが露天風呂を出て行った。男の人は課長と同じくらい。 女の子はあたしと同じくらい。まあ、あたしらと似たような境遇なのだろう。 「あの二人、何かしてたのかな」課長がうれしそうに言う。 何かしてたに決まってるじゃないの。ここは“不倫温泉”なんでしょ? 温泉の湯は乳白色だった。あたしはバスタオルを身体の前に垂らして、ちょん、と湯の 表面に触れた。そんなに言うほど熱くはない。課長はバスタオルを腰に巻いて、あたしの 背後に回ってきた。 「お湯に・・・入って」課長が囁く。「僕ら、貸切だよ」 課長が何をしようとしているのかは容易に想像がついた。 まあ、さっきおあずけを食わしたのも可愛そうだったので、あたしは素直に課長に従っ た。 肩まで浸かる・・・・・・ほんとにいいお湯だった。 その背後で、あたしを抱きかかえるようにして、課長が湯に遣っていた。 課長はいきなりあたしのバスタオルを引き剥がし、両方の胸を両手で鷲?みにした。 「・・・んっ」 あたしが声を上げる。調子に乗った課長は、そのまま激しい勢いであたしの胸をこね始 めた。湯の水面がちゃぷちゃぷ言って、それがなんとも言えずやらしかった。 「さっきの二人連れも、こんなことしたのかな・・・・・・?」 ・・・・・・そりゃそうでしょうよ、とあたしは思ったが言わなかった。 ■ のぼせるまで 「ほうら・・・もう乳首が硬くなってきたよ」・・・加藤の耳元で、わたしは囁いた。「こうさ れたかったんでしょ?お風呂行こうって言ったのはそのためでしょ?」 「・・・・・・ん・・・ばか」 自分の娘ほどの年頃の加藤に”バカ“と呼ばれるのはこの上ない快感だった。“パパ”と か呼ばれて喜ぶ奴も居るが、そんな連中の気が知れない。 わたしはそのまま右手を、加藤の脇腹に沿って、ゆっくり下に下ろした。 加藤の身体が、ぞくぞくっと震える。いつも通りの反応に、わたしはますます興奮した。 「・・・・・・え・・・・や・・・・・・そこは・・・?」加藤が湯の中で腰をよじる。 しかしわたしの手はまるで巣穴に潜り込むウツボのように加藤の脚の間に入り込み、難 なくその部部を指先で探り当てた。 「・・・だ・・・ダメですよ・・・・・・こんな・・・・・・人が来たらどうするんですか」 「誰も来ないよ」そういってわたしは、加藤のその先端の上で、弧を描くように指を回す。 「んんんっっっ・・・・・・やだ、そんな・・・・・・・」 加藤が仰け反ったので、わたしは加藤の首筋に吸い付き、さらに余った方の手で左の乳 首を転がせた。 加藤はしばし湯の中で暴れたが・・・・・・やがて大人しくわたしに身を任せてきた。 「・・・・・・んっ・・・・・・もう・・・・・・すけべ。変態」恨めしそうな顔で加藤がわたしを省みる。 「・・・・すごい、溢れてるでしょ。お湯の中で、ヌルヌルしてるよ」 「・・・やっ・・・・・・・・そんな・・・・やらしいですよ・・・」 「本当に加藤はすけべえだなあ・・・・」 「・・・・・・すけべなのは・・・・・んっ課長ですよ・・・・あっ」 指を挿入した。湯の温度よりも、はるかにその中の温度の方が高かった。 「・・・ひっ・・・・・・そんな・・・」 加藤の狼狽ぶりを無視して、ゆっくりと中で指を回す。湯の中で、加藤の腰が円を描き 始めた。さらに奥まで指を進めて、中ほどで指を曲げてみる。 「・・・ダメ・・・ダメですって・・・・・・そんなの・・・マジでやばいですよ」 加藤は背中を強張らせて、ほとんど頬を湯の水面につけていた。 わたしは容赦なく、その指を小刻みに震度させた。ちゃぷちゃぷと、湯の水面がはぜる 音がした。 「・・・・あっ・・・・やだ・・・・・・・って・・・・そんな・・・・・・・・そんなにしたら・・・あっ」 いつも加藤はこんな風にわたしに懇願する。 そのたびにわたしはいつも、同じことをする。 加藤の手を取って、もはやとんでもない硬さになっている自分の肉某を握らせる。 「あっ・・・・・・すごい」加藤が目を丸くして言う。 「ここで、しちゃう?」わたしは加藤に言った。 「・・・・・・続きは、部屋でする・・・・・・?」 しばらく考えたそぶりを見せながら、加藤は小さく頷いた。 ■ 帯は二本 旅館の自慢料理が出てきて、ビールを課長と3本くらい飲んだ。 あんまり美味しかったのか、そうでなかったのかは覚えていない。 ・・・・・・まったく、課長はとんでもないエロオヤジだ。仕事はまったくできないクセに。 なんかこんな風に言うと、いかにも紋切型の表現になっちゃうけど、あたしは疼いてい た。お風呂の中でされたことを思うたびに、夕食の世話をしてくれている女将さんが早く 出て行ってくんないかなあ・・・とそればかり考えていた。 あたしはいやらしいんだろうか? 自分でもぜんぜん好きではないこんなタイプの中年にいいように弄ばれて、それでそれ なりに喜んでいる。やっぱり・・・・・・あたしはどこかヘンなのだろう。 永遠ともいえる長い夕食時間が過ぎて、あたしたちは別にしたくもなかったピンポンな んかをして時間を潰した。 部屋に戻ると、布団が敷いてあった。 枕元には水の入ったコップつき水差しがひとつに、漆塗りのケースに入ったティッシュ ペーパーがひとつずつ。 ああ、なんていやらしいんだろう。 いきなり課長はあたしを布団に押し倒すと、あたしの帯を解いた。 「・・・ちょっと・・・え・・・いきなりですかあ・・・・・・?」 「・・・・君もやりたくてやりたくてたまらんだろうが」 そういって課長は、自分の帯も解いた。 ということはこの部屋には帯は2本。 課長が考えていることは容易に想像がついた。 課長はあたしに覆いかぶさってきて、あたしを万歳の格好にさせると、手首を帯で縛っ た。 「・・・えっ・・・ちょっと・・・こんな」あたしが言うのもかまわず、課長は次の行動に出た。 あたしから解いた帯で、あたしに目隠しをしたのだ。 ああ、これがオヤジの夢なのか。 若い女の子と温泉に行って、お風呂で少しいたずらをして、お部屋では2本の帯で手首 を縛って目隠しをする・・・・・・・全国何万のオヤジが、同じようなことを夢見ていることか。 馬鹿馬鹿しい気もしないではなかったが、こうしていざ実際にされてみると、そんなに悪 くはなかった。 「・・・・・・・明かり・・・・消して」あたしは言った。 素直に、課長は電気を消してくれたようだ。 しかし、目隠しで見えないながらも、課長が何かをあたしのからだの近くに置いたこと に気づいた。最初は何かわからなかったが、それがあの部屋に添えつけられている灯篭で あることに気づいた・・・・。 浴衣を両肩にかけ、手を万歳の形に縛られ、目隠しをされたあたしが、灯篭の明かり に照らされている・・・・・・想像しただけで、どうしようもなくいやらしかった。 ■ オールナイトロング 灯篭のオレンジ掛かった明かりは、加藤の凹凸のはっきりした身体に見事なコントラス トをつけ、わたしはそのまま、それを一晩中眺めていたくなった。 まあ言うなれば、これで目的の三分の二ほどは果たしたことになる。 あとは一晩中、加藤をなぶるだけである。 と、隣の部屋から、なんだか艶かしい声が聞こえてきた。 「聞こえる?」わたしは加藤に言った「・・・・・・ほら、隣の部屋」 目隠しされたままの加藤が、ウンと頷く。 「・・・すごいね、やっぱりさすが“不倫温泉”だね・・・・・・多分、さっき露天風呂を出て行っ た二人だよ・・・・・・・あの人たちも、こんなことしてんのかな」 「・・・・・・そんな訳ないしょ。課長、人一倍すけべだからって皆そうだと思わないでくださ い」 「・・・じゃあ、すけべなことするか」 わたしは加藤の首筋を舐めた。 「あっ」加藤が仰け反る。 今度は意外なところ・・・左の太ももの内側を舐めた。 その次は肩を、その次はへそを。 「あっ・・・んっ・・・・」その度に加藤は声をあげる。 目隠しをされている加藤を思い、わたしは次々と意外な部分を舐め続けた。そのうち、 加藤は布団の上でむずかるように身をよじり始めた。 「・・・あの・・・」加藤がか細い声で言う「・・・・・・・あの、パンツ、脱がせてください」 「何で?」わたしは意地悪に聞いた。 「・・・・汚しちゃうから・・・」 希望にこたえて、パンツを脱がせた。その部分とパンツの二重底が、うすく糸を引いて いた。加藤は腰を浮かせて、わたしの動きを助ける。 「・・・・・・というか、もうパンツ汚れてるよ」わたしはどこまでも意地悪になれた。 「・・・やだ・・・」 そのまま加藤の両膝頭をがっちりと掴み、左右に開いた。 「いやあっ」加藤が身をよじる。 「ほんとうだ・・・・・・えらいことになってるわ。ここ」 「・・・そんな・・・・・・・・そんな見ないでくださいよ」 わたしはそのまま加藤の股間に顔を埋めた。 舌を動かすよりも先に、加藤の尻が浮いた。 隣の部屋からは、相変わらず艶かしい声が聞こえてくる。 それに負けない声を上げさせるため、わたしは舌を縦横無尽に動かした。 「くぅぅうう・・・・・・っ・・・・・・あっつ・・・・・・す・・・・・すごい・・・・・・」 それでも加藤は声を堪えているようだった。 「気にすることないよ。もっと声出していいんだよ。ほら、隣の部屋からも聞こえてく るじゃん。なんてったって、ここは“不倫温泉”なんだからね」 「・・・・・・お願い・・・・その・・・・課長・・・・」加藤は目隠しをされたまま、喘ぎつつ言った 「き・・・来て」 わたしは記録級の素早さでコンドームを装着すると、とりあえず前から加藤に乗っか り、その大きく開いた両足を持ち上げ、一気に挿入した。 「ううんっ!!!」加藤が嘶く。でもまだ声を堪えているらしい。 めちゃくちゃに激しく突いた。 何だか、ここ最近で一番長持ちしそうな感じだった。 体位も頻繁に変えた。確かその次は、後背位だったと思う。 「ほら、もっと声出せよ!・・・・・・ほら、我慢せず声を出すんだ!」 言いながらわたしは加藤の肉付きのよい尻をぴしゃぴしゃと叩いた。 加藤の中で何かのタガが外れたらしい。 旅館中に響き渡りそうな声を、加藤は上げ始めた。 この静かな山の中では、どこまでも届きそうな声だった。この山のふもとに、人など住 んでいないだろう。まるでここは孤島である。 さすがに、“不倫温泉”と言われる所以だ。 ■ またのお越しを 何か旅館の中がドタバタしていて、早朝に目が覚めた。 目隠しをされたままだったので、最初は混乱したが、目隠しをはずすと、まぶしい朝の 光が目に飛び込んで来た。 ・・・・・・・はあ・・・・・・夕べは何発やったっけ? 3回目まではあたしも数えていたのだが、課長の元気さ、というか浅ましさには呆れ るのを通り越して敬意すら感じる。 あたしは浴衣をちゃんと着て、廊下に出た。 あたしの前を走り抜けようとする仲居さんを捕まえて聞いた。 「あの、何かあったんですか?」 「心中ですよ。あなたの隣の部屋で」 「し・・・心中???」 露天風呂ですれ違い、夜中隣から艶かしい声を聞かせてくれた、あの二人のことだろ うか。 「・・・それ、いつくらいのことですか?」 「さあ・・・二人とも、浴衣の帯で首を吊ったそうですよ」 「はあ・・・」 浴衣の帯にも、いろんな使い道があるもんだ、とあたしは思った。 何もかも丸出しにして大鼾をかいている課長を起こして、事情を話した。 「浴衣の帯にも、いろんな使い方があるね」課長は、あたしが思っていたのと同じことを 言った。 やがて、女将が部屋にやってきた。 「このたびは大変お騒がせいたしました・・・ところで、本来ならばこれからご朝食をお持ち するところなのですが・・・事情が事情だけに・・・まもなく警察がやってくることかと思いま す。大変余計な気遣いかとは思うのですが・・・その前にお二人は、当旅館を絶たれたほうが よろしいのではないかと・・・・あ、とりあえず、お二人がこの旅館にお泊りになったことは、 誰にもお話しません。宿帳もお付けしないのが当旅館の方針でして・・・・」 女将さんの言うことはもっともだった。さすが“不倫温泉”だ。 女将さんの言うとおりにした。あたしたちは超特急で荷物をまとめて、旅館を発った。 セットの朝食代は、割り引いてくれた、と課長が言っていた。 「またのお越しをお待ちしております」 玄関先で、深々と頭を下げて女将が言った。 あたしたちはそのまま、山の道を下って駅を目指した。 ■ 電車を待ちながら 「はあ・・・なんだか、いろいろあるよなあ」わたしは言った。「いまどき心中なんて、流行 らんよ」 「そうですよね」加藤が相槌を打った。 「どんな事情があったんだろう?死ななきゃならないくらいの事情がさ」 「・・・さあ・・・世の中いろいろありますから」 無人駅のホームに立っているのは、わたしと加藤だけだった。 次の電車は、だいたい40分後に来ることになっている。 わたしはベンチに腰掛けて、タバコに火をつけた。 「あたしにも一口もらえます?」 そのまま一本のタバコを、二人で回しのみした。 「多分・・・・・・まじめ過ぎたんでしょうね、あの二人は」加藤が遠くを見ながら言う。 「え?」 「あたしたちと違って・・・・・・深刻に考えすぎたんですよ。その気になれば、誰だって気楽 に生きられるのに」 「・・・・」 わたしは黙った。 電車はまだ来ない。 永遠に来ないのではないか、とさえ思った。 わたしは2本目のたばこをくわえ、もう一本を加藤に差し出した(了)
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