昨日の本棚 2003-2004

〈今週の本〉 といったかたちでこれまで折にふれ紹介してきた本をまとめてみた。「書評」 というような大層なものでは勿論なく、単なる紹介やメモのようなものがほとんど。とくにそのとき読んでいた本、というわけでもない。2003-2004は絵本など、ヴィジュアル本が多くなった。
Sasek 《This is London》
井波律子 『中国ミステリー探訪』
和田誠 『倫敦巴里』
初山滋 『たべるトンちゃん』
ブッツァーティ 『シチリアを征服したクマ王国の
   物語』
中野善夫・吉村満美子編訳 『怪奇礼讃』
ゴンブローヴィッチ 『トランス=アトランティック』
北村薫 『ミステリ十二か月』
『子不語の夢』
若島正 『乱視読者の新冒険』
市川慎子 『海月書林の古本案内』
Riley 《The Book of Bunny Suicides》
     《Return of the Bunny Suicides》


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Miroslav Sasek 《This is London》 【amazon】

 チェコの絵本作家サセックが世界各地の都市を紹介する 《This is 〜》 シリーズの一冊。
 まず最初の頁をひらくと、見開き2頁が黄土色に塗りつぶされている。曰く、「そう、これがロンドンです。でも心配しないで。こんなふうに霧に隠れているのは、冬の間のごく数日のこと。ほとんどのときは――」 (ここで頁をめくる) 「こんなです!」 すると次の見開きではロンドンの市街がぱっと広がっている、という仕掛け。
 それからセント・ポール大聖堂にウェストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、ロンドン塔、大英博物館、ビッグ・ベンといった名所旧跡をまわり、シティで働く人やビリングズゲイトの魚市場のおじさん、コヴェントガーデンの八百屋さん、制服姿のおまわりさん、牛乳配達、史蹟見学の女学生、公園で木登りする子供たち、オールド・ベイリーに出入りする鬘をかぶった法律家、大道芸人、ハイドパークで演説しているおじさんなど、街の人々を次々に紹介していく。二階建てバスや地下鉄も出てくれば、横丁のパブも紹介される。ガイドブックに載るような観光名所と同時に、そうした街の日常風景をしっかり描きこんでいるのがサセックの絵本の大きな魅力になっている。
 もちろん絵そのものも素晴らしい。1950-60年代イラストレーションの精華ともいうべき絵本シリーズ。パリ、サンフランシスコ、ニューヨーク、ヴェニス、アイルランド篇も復刊されている。(2003.10.24)
【追記:その後日本版も出ています。2005.12】


井波律子 『中国ミステリー探訪――千年の事件簿から』 NHK出版 【amazon】

 中国文学に 「公案小説」 という裁判・犯罪を扱ったジャンルが古くからあり、日本の 「大岡政談」 などの種本になっていることは、小酒井不木や江戸川乱歩のエッセーでも紹介されているから、ご存知の方も多いと思う。もっとも、ちょっとした機知や計略の話がほとんどで、現代的な意味での 「ミステリ」 とは同列には論じられないが、なかには堂々たるトリックや解明の論理を備えた物語もすくなからず存在する。
 この本は、紀元3世紀 (!) から20世紀半ばにいたるこうした作品を順次紹介した読物で、ファン・フーリックが翻訳して西欧に紹介した 「狄公案」 に触れた部分もあれば、最後のほうでは、20世紀初頭にホームズ物の漢訳が引き起こした 「偵探小説」 ブームについての記述もある。著者は中国文学の専門家だが、もともと新聞に連載されたもので、肩の凝らない読物に仕上がっている (そのぶんちょっと物足りない感じも否めないのだが)。(2003.11)


和田誠 『倫敦巴里』 話の特集 (絶版)

 川端康成 『雪国』 の冒頭部を、いろいろな作家の文体模写で書き分けたシリーズや、《忠臣蔵》 や 《のらくろ》 にハリウッド・スターの配役をあてた 「初夢ロードショー」 など、紙上のエンターテイナー和田誠が存分に筆を揮った知る人ぞ知る逸品だが、巻頭の 「殺しの手帖」 がなんといっても傑作 (もちろんこれは 《暮しの手帖》 のパロディ)。
 毒薬の小壜を並べた表紙をめくると、「これはあなたの手帖です/いろいろのことが ここには書きつけてある/この中の どれか 一つ二つは/すぐ今日 あなたの殺しに役立ち/せめて どれか もう一つ二つは/すぐには役立たないように見えても/やがて こころの底ふかく沈んで/いつか あなたの殺し方を変えてしまう/そんなふうな/これは あなたの殺しの手帖です」 という巻頭言でまず大笑い (花森安治の暮しの手帖宣言の、「暮し」 を 「殺し」 に置き換えただけなんだけど)。
 つづいて 《暮しの手帖》 名物、商品テストをもじった 「リヴォルヴァーをテストする」。「しかし、私たちの考えでは、旧式ではあっても、いざというとき故障のすくないリヴォルヴァーをすすめたいのです」 というのがまた、いかにも 《暮しの手帖》 風でいい (むやみに新式、流行にとびつかないのが 《暮しの手帖》 の基本姿勢なのだ)。
 次の 「毒入りのおそうざい」 は、とりかぶとののりまぶし、じゃがいもの砒素ふくめ煮、いかと椎茸のストリキニーネあえ、冬瓜のシアン化水素汁、の4品。
 コラム 「殺しの中で考える」 では、「かつての美しかった殺しの精神」 をあらためて考え直しましょう、と呼びかける。わずか2頁のなかに、ポースト、クリスティー、ポー、ドイル、ノックス、ヴァン・ダイン、カー、クイーン、クロフツ、ダンセイニ、乱歩らの 「優雅」 で 「美しい」 殺人トリックが (作者・作品名を出さずに) 紹介されている。「C町に住むC氏を殺すのを、まったく関係のないA町のA氏、B町のB氏を殺害してからにする、というやり方は、現在のようにあわただしすぎる私たちには、まるで夢のように、うるおいのある殺し方だと、なつかしく思い出されます」 なんて言い回しには、思わずうなってしまう。
 最後の広告頁には、「殺しの手帖社版」 として 『巴里の空の下硝煙のにおいは流れる』 の書名が (石井好子 『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』 は暮しの手帖社のロングセラー)。《暮しの手帖》 のデザインワーク・文体模写としてほぼ完璧であると同時に、ミステリ・ファンのツボをつきまくりの8頁。日本版 『マーダー・インク』 をつくる機会があったら、是非採録したい一篇。(2004.4)


初山滋 『たべるトンちゃん』 金襴社/復刻版・よるひろプロ 【amazon】

 トンちゃんの話をしよう。
 トンちゃんはブタである。お話の中のブタといえば、洋の東西を問わず、食いしん坊と決まっている。猪八戒しかり、ガブガブしかり、ブー・フー・ウーは……どうだったかな? もちろんトンちゃんも食いしん坊である。それもとんでもなく。トンちゃんの一日を本人 (本豚?) の言葉でご紹介しよう。
 「めがさめた ビィー/たべる ビィー/たべる ビィー/たべる ビィー/たべたら/ねる ビィー」
 トンちゃんはなんでも食べる。
 「おには の ごみ を きれいに たべる ビィー」
 「この せきたん は ボリ なかなか うまい ボリ」
 「たべるもの なら あんま の ふえ でも ビィー」
 しゃぼんだまを食べる、ガソリンを飲む、たいへんな悪食ではあるが、このくらいなら、まだ微笑ましい (かな?)。しかし、荷馬車の馬のエサを横取りした上に馬まで食ってしまい、トンちゃんにエサをあげに来たお兄さんまで食べちゃうのは、さすがにどうかと思う。お兄さんいわく、
 「ぼく まで たべちゃ いやだよ ポコ」
 絵と言葉はかわいらしいが、やってることは完全にホラーである。もはや食欲の権化と化したトンちゃんは、目に入るものすべてをなんとかして食べてやろうと、いつも考えている。トンちゃんがみる夢はこんな夢。
 「けふ は にちえう だから だれか の おなか へ/ハイキング と しよう/とんちゃん の おなか へ ゆかう/せっしゃ も おともし たい/こんな ゆめ を みたい ビィー」
(と、たくさんの魚が自分からトンちゃんの釣竿にかかる)
 「(小鳥) とんちゃん の おなか の なか を けんぶつ/する には どうしたら よろしい でせう ピィ/(鉄砲) ぼく の いふとほり に すれば よろしい ポン」
(と、小鳥が自分からトンちゃんの鉄砲の筒先に入ってくる)
 もう、だれもトンちゃんを止められない。食欲魔豚トンちゃんの暴食スタンビートは果たしてどこへ行きつくのか……と、最後の3頁で、思いもよらぬ (いや、予想はつくんですが) 急転直下の結末が訪れる。これにて、昭和12年金蘭社刊 『たべるトンちゃん』、一豚の終り。
 作者は初山滋。幻想的な 「線と色彩の詩人」 に、こういうナンセンス絵本があるとは知りませんでした。1970年代にほるぷ出版から復刻版が出てるので、興味のあるかたは、図書館などで探してみてください。(2004.4)
【追記:よるひるプロから復刻版が出て入手可能になりました。2005.11】


ディーノ・ブッツァーティ 『シチリアを征服したクマ王国の物語』
福音館書店 (絶版)/福音館文庫 [amazon]


 クマの話をしよう。
 森のクマさんでも、プーさんでも、ましてや篠原勝之でもない。シチリアを征服したクマたちの話である。
 事の発端は、シチリアの山中で二人の猟師が一匹の子グマを捕まえたことにある。子グマの名前はトニオ。クマたちの王レオンツィオの息子だった。レオンツィオ王は気高い心の持ち主だったが、折からの厳しい冬に食糧が不足し、クマたちが飢えに直面していたこともあり、平地におりて人間たちと戦うことを決意する。大公軍との激しい戦いに勝利を収めたクマ軍は、幽霊の城で一夜を明かし、恐ろしい化け猫や人食い鬼トロルも退けるが、王子トニオの行方は依然として知れなかった。しかし、ついに都を攻囲して、これを陥れたレオンツィオ王は、意外な場所でトニオと再会する。
 シチリア全土を征服してクマ王国を樹立したレオンツィオ王は、クマと人間のわけへだてなく善政をしくが、やがて月日は流れ、平地の生活に慣れたクマたちの間にも、人間と同じような堕落がひろまり、悲劇がひそかに進行していく。
 作者はディーノ・ブッツァーティ。短篇集 『七人の使者』 『待っていたのは』 に収められた不条理小説、奇想短篇で知られるイタリア作家に、こんな絵物語があるのをご存知だろうか。素晴らしい挿絵を描いているのは作者自身。イラストレイターでもあったブッツァーティの絵は、ユーモラスで、ほのぼのと暖かい。残念ながら現在絶版だが、最近英訳本が出た。(2004.5.9)
【追記:版型はだいぶ小さくなりましたが、福音館文庫の一冊として復刊されました。2008.10】


中野善夫・吉村満美子編訳 『怪奇礼讃』 創元推理文庫 【amazon】

 クラシックな怪奇小説のアンソロジーが出版されるのは久しぶり。しかし、本書の特徴は、オーソドックスなゴースト・ストーリーよりもむしろ、ちょっと変った味わい、趣向の作品を集めていることにある。「怪奇とは、すなわち恐怖ではないはずだ。怪奇とは、不思議で怪しいということのはずだ。(中略) もっと不思議な話、変な話、謎めいた話、そしてなおかつ怖い話を読みたい。そう思って選んだものが、本書に収録された22編である」 と序文にある。
 巻頭のマーガレット・ラスキ 「塔」 は、結婚してイタリアにやってきたイギリス人女性が、ガイドブックを片手にフィレンツェ郊外をひとりで観光している途中、16世紀に建てられた 「犠の塔」 に引き寄せられるように入っていく。塔はすでに廃墟となっていたが、彼女は内部の壁をらせん状にめぐりながら頂上に達している階段を上り始める。階段は470段あるというのだが……。
 ほかにも、村の居酒屋にやってきた謎めいた他所者をめぐる噂話が、狐につままれたような幕切れを迎えるなんとも奇妙な味わいのヒュー・マクダーミッド 「よそ者」、不気味な足音に付きまとわれる男の話、E・F・ベンスン 「跫音」、ロード・ダンセイニの素敵なファンタジー 「谷間の幽霊」 など、物語の愉悦を存分に味わわせてくれる22篇がおさめられている。怪奇小説ファンはもちろん、〈奇妙な味〉 や 〈異色短篇〉 の愛好家にも一読をおすすめしたい。(2004.7)


ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ 『トランス=アトランティック』 国書刊行会 【amazon】

 1939年の夏、大西洋横断の旅に出たポーランドの作家ゴンブローヴィッチは20日間の船旅を終えて、8月31日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに上陸する。しかし、翌9月1日、欧州ではドイツ軍がポーランドに侵入、世界大戦が勃発し、その急報がブエノスアイレスにももたらされる。旅行団の一行は、帰国は無理としてもとりあえず行ける所まで行こうと出航するが、「ぼくが英国に行って何になる」 というゴンブローヴィッチは、ひとり船を抜け出し、異邦の地にとどまる決心をする (結局、彼は二度と母国の土を踏むことなく生涯を終える)。
 『トランス=アトランティック』 は、この永遠の故郷喪失者にして自称 「永遠の青二才」 ゴンブローヴィッチが、自らの体験を特異な文体を駆使して綴ったグロテスク・リアリズムの怪作である。
 「悪魔、悪魔、悪魔。このすたすた歩きの次の一手が何なのか、それは自分にもわからない。すたすた歩きは、すたすた歩きなのだ。……なんだか自分でもわからない。狂気にとりつかれたすたすた歩きだ。すたすた、すたすた。みんなてっきり気が触れたと思うだろう……それでも、すたすた、すたすた……悪魔、悪魔、すたすた、すたすた……」
  悪魔のすたすた歩きで作家はブエノスアイレスの奇奇怪怪な人間社会を歩きまわり、観察する。ムシャムシャ、バロン、チョッカイの道化た三人組、唇を赤く塗った謎の同性愛男など、あやしげな登場人物にも事欠かない。毒と笑いに満ちた破格の文体で作家は、自分がほうりこまれたグロテスクな現実を戯画的に再創造していく。この言語的猛獣ともいうべきテクストを、その猛獣性をそこなうことなく日本語に移し替えた訳者の力わざにも感嘆。ひとたびこの畏るべき言葉の奔流に身をゆだねた読者は、「いつのまにやらバカボコ踊り」、「笑ってバカッ、笑ってボコッ。バカバカ爆発!」 してしまうにちがいない。(2004.10)


北村薫 『ミステリ十二か月』 中央公論新社 【amazon】

 一年間にわたって新聞に連載された子供向けのミステリ案内をまとめたもの。謎とき絵本 『きょうはなんのひ?』 から宮部みゆき 『我らが隣人の犯罪』 まで、毎週1冊ずつ、計50冊の古今東西の本格ミステリの名作が紹介されている。北村薫はこの連載の依頼を受けたとき、これは 「受けなければいけない仕事だ」 と思ったという。ミステリを読み始めた若い読者のための道案内は 「先に歩いた者の務め」 であると。
 子供向けといいながら、ここには 『黒死館殺人事件』 のように初心者には難解と思われる作品も選ばれている。しかし、著者のいうとおり、本好きの子供とは 「無理にやさしく話しかける必要のない相手」 なのだ。興味さえあれば子供はどんなものでも読む。もっと高く、もっと遠くへ。後から来る者たちに最高のものを贈ろうとする 「尊い情熱」 が、この本の隅々にまでみなぎっている。
 後半では有栖川有栖との対談やエッセーを通して、作品選びの舞台裏があかされていく。あたかも一つの事件を別の視点から語りなおすような構成で、それによって豊かな細部がさらに輝きを増す。ここでもまたミステリ作家の周到なたくらみと本格スピリットを感じてしまうのだ。(2004.10.26)


『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』 皓星社 【amazon】

 日本探偵小説草創期の二人の巨人、江戸川乱歩と小酒井不木の往復書簡集。二人の文通は、大正12年7月1日の不木宛て乱歩書簡から始まる。この年、《新青年》 4月号に乱歩は 「二銭銅貨」 を発表、このとき不木が推薦文を寄せ、その衝撃的デビューを後押ししたことはよく知られている。
 犯罪学随筆や翻訳を 《新青年》 に寄稿、探偵小説の良き理解者、権威として重んじられていた帝国大学教授・小酒井不木に、新人作家・江戸川乱歩が送った最初の手紙は、「ずっと以前から御手紙を差上げようと思いながら、つい今日まで失礼して居りました」 という書き出しから、自作の批評に対する礼を述べ、「生来人一倍好奇心の強い男でして」 という自分の探偵小説への興味と情熱を吐露している。また、生活のために好きな探偵小説に費やす時間の少ないことを嘆き、新作 「恐ろしき錯誤」 や構想中の 「赤い部屋」 についても語っている。
 それに対する不木の返信は7月3日付 (乱歩の手紙を落掌してすぐ筆をとったのだろう)。「あなたには磨けば愈光る尊いジニアスのあることを認めて居ります」 「どうかこれからどしどし立派な作品を生産して私を喜ばせて下さいませ」 と温かい励ましの言葉にあふれている。次の乱歩の手紙はモーリス・ルヴェル讃。
 一年余の空白があって翌13年11月26日の手紙では 「恐ろしき錯誤」 が思わぬ不評だったこと、「赤い部屋」 は書き悩み、その後 「二廃人」 「双生児」 「D坂の殺人事件」 を書いたが、自信作とはいえなかったことを述べ、ようやくやや意にかなう作品 「心理試験」 が出来たので、原稿を御一読の上御批判を賜りたい、と結んでいる。「私が果たして探偵小説作家として一人前になれるかどうかを、先生に御判断願ひ度いのです」 自分が専業作家として立っていけるかどうかを問う乱歩の筆は真剣そのものである。
 「心理試験」 の原稿を読んだ不木の返信は3日後の29日付。「あなたは探偵作家として十分立つて行くことが出来ると確信して居ります」
 冒頭の数通を読んでいるうちに、なんだかドキドキしてきた。探偵作家・江戸川乱歩誕生の瞬間を目撃したかのようなスリルをおぼえる。
 しかし、新進の有望作家と、それを引き立て励ます斯界の権威という二人の関係は、少しずつ変化していく。やがて創作に行き詰まりを感じた乱歩は休筆を宣言。心配した不木は合作ユニット耽綺社をつくって、なんとか乱歩に筆をとらせようと画策するのだが、すでに二人の考えには大きなズレが生じている。不木の意気込みに対して距離を置き始める乱歩、そのすれ違いにはらはらしたり、思わずしんみりしたり。日本で最初の職業探偵作家の誕生と、その乱歩を核として形成されていく探偵文壇のドキュメントとしても貴重な資料である。新しいジャンルが生まれる時の昂揚と、開拓者たちの苦闘の跡が154通の手紙に刻み込まれている。(2004.11)


若島正 『乱視読者の新冒険』 研究社 【amazon】

 1993年に出た 『乱視読者の冒険』 (自由国民社) の増補改訂版。旧版を引っ張り出してきて数えてみると、44本中28本が新収録、旧版から割愛されたのは21本と、半分以上が入れ替えられ、構成も一新されている。まったく新しい本といってもよさそうだ。(あとがきによれば 「伸び放題になっていた髪をばっさり切り落としてずいぶんすっきりしたような気分」 とのこと)
 まずは新収録の 「タイム・マシン文学史」 (いまはなき 《is》 の連載) を読む。タイム・マシン、と聞いていろめき立つSFファンもいそうだが、これはタイム・マシンSFの系譜をたどったエッセーではない。ウェルズやレムも出てくるが、この連載のテーマは 「小説を読むという行為は、機械の助けを借りないタイム・トラヴェルである」 というもの。小説を読むとき、誰もがその小説世界の時間に身をゆだね、頁を閉じて再びこの世界へ戻ってくるまでの間、現実とはべつの時間、べつの世界を生きていくことになる。小説を読むという行為、もっといえば人間そのものがタイム・マシン装置なのではないか。想像力によって過去の世界へと入っていくジャック・フィニイの作品から始まってジョイス、レム、カルヴィーノ、ブラッドベリ、ボルヘス、M・エイミス、B・S・ジョンソン、ガルシア=マルケス、ウルフらをとりあげ、「小説というタイム・マシン」 についての考察がつづけられていく。
 ここで巻頭のエッセー 「蛾の思想――『アンナ・カレニーナ』 を読む」 に戻れば、この本全体がそうした 「読書」 という不思議ないとなみをめぐって書かれたものであることに気づかされる。ジャック・フィニイの主人公が、19世紀末ニューヨークという歴史的時間/場所の細部に没入することによってタイム・トラヴェルを実現したように、作品の外でみつけたテーマを作品の中に持ち込むことなく、ひたすら細部を読みこみ、そのなかから発現する生きた 〈思想〉 をつかまえること、それが小説というタイム・マシンの使用法だと乱視読者はいう。「すくなくともわたしにとっては、作品が生きていること、そしてわたしが生きていることを実感するのは、細部を読み取るその瞬間である」 (2004.11)


市川慎子 『海月書林の古本案内』 ピエ・ブックス 【amazon】

 古本ガイドは数あれど、どうしたって行き着くところ 「コレ知ってるか (持ってるか)」 の世界になりがちである。もちろん、こういういかにも 「我ら古本男児」 的なオドカシッコも、それはそれで愉しいのだけれど、もうちょっとシンプルにゆったりと、古い本の美しさ、手触りみたいなものを愛でたいときもある。
 そんなとき手にしたのがこの古本案内。日本グラフィックデザインの草分け亀倉雄策が装幀した 『文芸日記』 (昭和30) から始まるシブさが嬉しい。食器や椅子、檸檬などを配した 《暮しの手帖》 第一世紀の表紙の惚れ惚れするようなカッコよさ、柳原良平 《洋酒マメ天国》 の洒落たセンス、ちいさくって偉い保育社カラーブックス。慎ましい美しさに満ちた本が並んでいて、眺めているだけで気持ちがなごむ。手書きの見出しや余白をいかした文章の入れ方など、全体のレイアウトもおそらく 《暮しの手帖》 に倣ったもの。人名小事典や書名索引がきちんと付いた丁寧な本づくりも好ましい。
 たとえば穏やかな秋の日の午後、陽のあたる縁側で、ちょっと濃い目の緑茶をいれて、のんびりと頁をめくるのに恰好の一冊。(縁側があれば、だけど。ない人は仕方がないね)(2004.11.23)


Andy Riley
《The Book of Bunny Suicides》
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《Return of the Bunny Suicides》
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 『The Book of Bunny Suicides (ウサちゃんの自殺読本)』 というタイトルどおり、さまざまな方法で自殺するウサギたちをひたすら描いた漫画集。最近出た続篇 『Return of the Bunny Suicides』 とあわせて143通りもの方法が紹介されているのだが、その方法が実にバカバカしくって笑える。
 たとえば、首吊りの縄の先を時計台の長針に結びつけて針が]Uへ向かって上がっていくのを待つ。頭の上に巨大なワインのコルク抜きをセットし、自分の脳みそを引き抜いてしまう。ブラックユーモアというよりシック・ジョーク。鍾乳石の真下に坐って崩落するのをボーっと待ってる、みたいなお間抜け感がいい。無表情に淡々と、むしろ嬉々として自殺を実行していくウサギたちに、なぜかほのぼのしてしまう (心優しきミッフィー・ファンにはあえてお奨めしませんが)。
 続篇でのお気に入りは、「願いごとの井戸」 にコインを投げこむやつ。次のコマではバタンと倒れている。お願いしたのは……という考えオチ。時事ネタでは、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』 をオンライン書店で注文して、あとはドアポストの下でひたすら待つ、というのも。翌日、配達された本が脳天を直撃。たしかにあの重さは凶器になるかも。(2004.11.30)
【追記:『自殺うさぎの本』 として青山出版社から日本版も出た。といっても、ほとんど文字のない本ではあるのだが。2005.12】