編者の言葉

若島正


 シオドア・スタージョンは、SF作家としての生涯において、その実力を認められ、隠れたマスターとして尊敬されることはあっても、しかるべき栄誉を受けたことはほとんどなかった。たしかに、脂がのりきった50年代に代表的長篇 『人間以上』 で国際幻想文学大賞を受賞したという事実はあるものの、たとえばSFから出発してそれ以外の広い読者層まで獲得したレイ・ブラッドベリやカート・ヴォネガットといった作家たちのように、輝かしい栄光に包まれることはなかった。スタージョン再評価の機運がようやく高まってきたのは、1985年に67歳で世を去ってからのことである。

 再評価の決定的な契機となったのは、ノース・アトランティック・ブックスという出版社が1994年から10巻完結の 『シオドア・スタージョン短篇全集』 を年1冊のペースで出すという、途方もないくわだてを敢行したことである。各短篇の執筆経緯や本文校訂など、編者のポール・ウィリアムズによる詳細な解説が付いているこの全集は、その規模において他のどのSF作家に対しても行われたことがなかったような扱いであり、それだけをとってみても、不遇な作家スタージョンの復権をめざしたものであることが明らかだ。

 日本においては、スタージョンは 『人間以上』 の作家というよりは、むしろ早川書房の異色作家短篇集のシリーズで出た 『一角獣・多角獣』 の作家であったと言ってもかまわないだろう。この短篇集は、古書としてとんでもない値段が付いているらしく、読みたくても読めないという状態が続いていて、復刊希望リストの上位に名を連ねている。異色作家短篇集は、日本における翻訳出版の歴史に残る名シリーズであり、「異色作家」 や 「奇妙な味」 といった一種の造語が完全に定着するに至ったほどで、その影響力ははかりしれない (言うまでもなく、わたしもこのシリーズを読んで育った世代の人間である)。その名シリーズの中でも、この 『一角獣・多角獣』 が最も名高いのだから、それがいかに傑出した短篇集であるかおわかりになっていただけるだろう。

 そうした国内外におけるスタージョン再評価の動きを視野に入れながら、スタージョンのベストアルバムを作るつもりで独自に編んでみたのが、本書 『海を失った男』 である。ここで、本書の編集方針を明らかにしておきたい。

 まず第一は、早川版 『一角獣・多角獣』 をある意味で引き継ぐものになることを意図した点である。個人的な意見を述べれば、原書の 『一角獣・多角獣』 はやはりスタージョンの数多い短篇集の中でもベストであり、スタージョンのベストアルバムとなればどうしてもそこから何作かを採ることになる。そこで長考の末に、「ビアンカの手」 と 「シジジイじゃない」、そしてどういうわけか早川版で洩れている 「ミュージック」 の計3作を選んでみた。

 第二には、ノース・アトランティック・ブックス版短篇全集の刊行によってようやく明らかになってきた、スタージョンの真の姿を何らかの形で反映するセレクションにするよう努めた点である。スタージョンの真の姿とは、我ながら大きく出すぎた気もするが、簡単に言ってしまえば、スタージョンがSF作家あるいは幻想小説作家という枠をはみだしてしまう書き手であったということだ。もちろん、これはSF愛読者から見れば必ずしも喜ばしい現象ではなく、SF界でスタージョンの評価が定まらなかった原因もおそらくそこにある。

 それでは、スタージョンがSFにもたらしたのは何だったか? 私見を述べれば、それは従来のジャンルSFで用いられてきた、SF的ガジェットの用語に満ちあふれた文体ではなく、多様な文体、とりわけ社会の底辺に生きる人間を活写する口語を基調にした文体であった。登場人物のレベルで言うなら、SFではほとんど描かれたことのない、ややもすると社会から切り捨てられてしまう人々をスタージョンは描いた。そして、われわれの生活様式(特に愛とセックスをめぐる事柄)がどれほど慣習や既成観念に束縛されたものであるか、そういう束縛を取り払ってみればどのような可能性が生まれるか、という問題をSF的思考実験として追い続けた。こういう言い方が許されるなら、スタージョンが書いたのは 「人間的」 SFなのである。

 本書のセレクションは、スタージョンの評価の難しさを考慮に入れつつ、これまでに述べてきたような従来あまり光を当てられていない側面を強調しようとした結果の産物である。とりわけ、枚数の制約でこれまで紹介が遅れてきた中篇群のなかから、代表的なものを取り入れることにつとめた。必然的に、ちょっと風変わりなテイストを気軽に楽しめる、といった短篇集の趣きとはかなり違った選集になったはずである。

 そして、最後にもうひとことだけ。わたしは 「ビアンカの手」 「墓読み」 「海を失った男」 の三作品を、大学の授業でテキストとして何度か使った経験がある。「海を失った男」 を教えたときのことだ。授業が終わってから、ある学生がわざわざ教壇のところまでやってきてこう言った。「先生、この短篇、さっぱり何が書いてあるのかわかりませんけど、でも凄い!」

 もうその学生の名前は忘れてしまったが、彼のような人間こそ理想的なスタージョンの読者ではないかと思う。この選集 『海を失った男』 は、すでにスタージョンの愛読者になってしまった人々だけではなく、スタージョンをそのようにダイレクトに受けとめてくれる、まだ見ぬ読者のために捧げたい。

(シオドア・スタージョン 『海を失った男』 編者あとがき より抜粋)