没企画1 吸血ヴァーニー

出したい本があると、まず普通は企画書というものを書く。しかし云うまでもなく、その全部が実際に本となって陽の目を見るわけではない。いままで書いた企画書のなかで、さまざまな理由で実を結ばなかったもの、あるいは結局提出に到らなかったものを、お慰みにご紹介しようと思う。もちろん、ここで挙げるのは、いまでも未練はないわけではないのだが、フリーという現在の自分の立場や出版状況を考えると、ちょっと実現は難しいと思えるものである。見込みのありそうなものは、当然、大事にしまってある。

提出するときには、いろいろもっともらしい根拠や理屈を並べるけれど、せんじつめてみれば、企画なんて一種の妄想に過ぎないような気がする。ああでもないこうでもないと考えているときが一番楽しい。その多くは愚にもつかぬものだったり、そんなの誰が読む (買う) んだよ、っていう企画だったりする。でも、そういう妄想 (もちろん自分のじゃなくたっていい) に 「かたち」 をあたえるのが、ぼくらの仕事なんじゃないかとも思うのだ。

 で、これは、妄想のままで終った夢の切れ端というわけ。まあ、この本の場合は、悪夢といったほうがよいのかもしれないけれど。

『吸血鬼ヴァーニー』 
マルカム・ライマー

Varney the Vampyre, or, The Feast of Blood 
1847


 真夜中、嵐の吹きすさぶなか古邸の寝室でひとり眠る美しい少女を襲う黒い影。むき出しの牙、長い鈎爪、怪物は少女の頚を引き寄せ、その牙をたてる。飛び散る血しぶき、異様な吸血の音。吸血鬼の饗宴はいよいよたけなわを迎える……。

ヘンリー4世時代から18世紀まで、歴史の曲がり角に姿を現わす怪人物ヴァーニーをめぐる謎と恐怖、物語は挿話につぐ挿話によって語られてゆく。おびただしい煽情小説によって〈血みどろ王〉の異名をとったマルカム・ライマーが紡ぎだす血と雷鳴の物語。「ドラキュラ」 「カーミラ」 とならぶ吸血鬼文学の古典にして最高最大のヴィクトリアン・スリラー。本邦怪奇小説ファンに捧げる暗黒ロマン巨篇。

  • 翻訳権 不要
  • 3分冊 A5判・2段組 各400頁 
  • 並製カバー装
  • 原著の挿絵も収録

【解説、あるいは感想戦】

19世紀の煽情恐怖小説の代表作です。19世紀中頃のイギリスでは、〈ペニー・ドレッドフル〉 と呼ばれる刊行物が一世を風靡していました。これは現代におけるペイパーバック、文庫本のようなもので、週刊や月刊形式で販売された冊子の連続読物です。〈ペニー・ドレッドフル〉 は恐怖物の叢書ですが、もちろん冒険物やロマンス物など、他にもさまざまな分野の叢書が出版されています。それまでの単行本は非常に高価なもので、一般の読者は貸本屋を利用するしかありませんでした。それがこうした廉価な出版物の登場によって、出版市場は爆発的に拡大したのです。スティーヴン・キングの 『グリーンマイル』 は、ディケンズのやり方に倣ったと謳っていますが、〈ペニー・ドレッドフル〉 の現代版といったほうがより正確でしょう。

本書は 『幻想文学大事典』によると、『戦争と平和』 と 『風と共に去りぬ』 をあわせたよりも長い、という大長篇です。けっして文学的に云々するような作品ではありません。『吸血鬼ドラキュラ』 (創元推理文庫) の解説で平井呈一は、第1章をみるかぎり 「その文章の卑俗さはまるで香具師の絵看板でも見るような泥くさい感じ」 と一蹴していますが、「香具師の絵看板」 とは言いえて妙で、それは必ずしもこの作の弱点とは云えないような気もします。もともと週刊形式で刊行されたこの作品は、ただもう読者の興味をかきたて、次の号を買わずにはいられない気持ちにさせることだけを考えて書かれた小説なのですから (たとえばマンガの連載と同じような感覚でしょう)。

物語はいきなり、嵐の夜、吸血鬼が少女の部屋を襲撃する場面から始まりますが、そこにはロマンティックな雰囲気はひとかけらもありません。怪物は突然、部屋に押し入ってきて少女の首に牙を立てます。とにかく暴力的、煽情的です。19世紀の読者は、いきなりヒロインの陵辱シーンから始まったようなショックを受けたことでしょう。その後、物語はめまぐるしい展開をみせますが、我々はただもうその場その場の恐怖や冒険のスリルを楽しめばいいのです。多少のストーリー上の矛盾や粗雑な文章には目をつぶりましょう。本書の粗筋を詳しく紹介している荒俣宏も、「これほどスリリングなヴィクトリアン・スリラーは滅多にお目にかかれない」 と、そのエンターテインメント性を高く評価しています。怪奇、冒険、謎、伝奇、歴史、ロマンスなど、さまざまな要素をぶちこんだジャンル・ミックスは、なにも今に始まったことではないということも、こうした19世紀の大衆小説を読めばよくわかります。

ちなみに本書の表紙にはもともと作者名が明記されておらず、この時代ではよくあったことですが、「『恵みの川、あるいは商人の娘』 の作者による」 とのみ記されていました。そして、この作品を 「再発見」 したゴシック小説研究の先駆者モンタギュー・サマーズの説に倣って、ながらく作者はトマス・ペケット・プレストとされてきました。プレストは、『アメリカのピクウィック』 『オリヴァー・トゥイス』 『デイヴィッド・コッパーフル』 といった、ディケンズの剽窃まがいの作品を書き飛ばした当時のキワモノ流行作家の一人で、恐怖物の大家でもありました。しかし、作者をプレストとするサマーズの説に確固たる根拠があったわけではなく、現在では、同時代の人気作家マルカム・ライマーを作者とする説が有力となっています。

これは企画書を書いてはみましたが、さすがにあまりに無謀な企画なので提出したことはありません。ひとつにはこの大長篇を翻訳してくれる人を探すのが大変でしたし、ハードカバーで出せばおそらく総額2万円を越すであろうこの本に、はたしてどれだけの読者が付いてきてくれるか、ということを考えると、つい二の足を踏んでしまったのでした。ホラー・ブームといわれ、内外のモダンホラー作品からベストセラーも生まれるようにはなりましたが、こうした古典怪奇小説のファンは、依然として少数派です。おそらくモダンホラーのファンとは、ほとんど重なってさえいないでしょう。かといって、基本的には大衆読物なわけで、「値段は問わない。むしろ函入美装本のほうが好ましい」 という読者をかこいこめるような 「高踏派」(?) の幻想文学とも違うのです。これはこの作品に限らず、多くの古典怪奇小説にも共通する問題なのですが。

古くからの怪奇小説ファンの方はご存知かと思いますが、かつてこの作品は、幻に終った 〈ドラキュラ叢書〉 第2期 (国書刊行会) のラインナップにも入っていました。この長大な作品を、あの叢書の枠内で、いったいどういう形で出すつもりだったのか、いまとなっては定かではないのですが、この種の長篇が紹介できる場は非常に限られているだけに、こればかりは実現していたら、と今でも残念でなりません。

なお、この作品は、ごく一部ですが邦訳された章があります。まず、第1章が 「恐怖の来訪者」 として、『アンソロジー恐怖と幻想1』 (月刊ペン社) に収録され、同じ訳が 『怪奇と幻想1』 (角川文庫) に再録されています (いずれも絶版)。また、近年刊行されたP・ヘイニング編 『ヴァンパイア・コレクション』 (角川文庫) には、ヴァーニー自身が語り手となる一挿話が 「吸血鬼の物語」 として収められています。

109回の週刊形式で刊行された本書の原本は、1970年代にこれを合本復刻した本が出るまで大変な稀覯書でしたが、第1章だけが、モンダギュー・サマーズの吸血鬼研究書 The Vampires; His Kith and Kin (1928) に収められ (平井呈一もこれで読んでいます)、この本の実質的な抄訳である日夏耿之介 『吸血妖魅考』 (1931) (再刊/ちくま学芸文庫) にも、この章の翻訳がそのまま収録されています。同書は実際には日夏の高弟の手になるものと云われていますが、独自の味がある訳文となっています。

本書のまとまった紹介としては、まず荒俣宏 「『吸血鬼ヴァーニ』 ヴィクトリア朝の夢に寄せて」 (紀田順一郎編 『出口なき迷宮』 牧神社/改題再刊 『ゴシック幻想』 書苑新社、所収) が、詳しい粗筋と当時の出版状況についてのレクチャーもあって有益なエッセイ。Dover社の復刻版のレヴュー、石村一男 「吸血ヴァーニ」 (『幻想と怪奇』 第3号、1973/『幻想文学』 第25号に再録) ではライマー/プレストの作者問題にも言及、「恐怖スリラーとしての 『ヴァーニ』 は今日読んでも退屈を感じることはない。それどころか、語りのテンポは迫力に満ちてさえいる」 と絶賛しています。

原文でトライしてみようという奇特な方には、数種類の復刻版が出ています。E・F・ブライラーが編集したDover社のぺイパー版 (1972) はJames Malcolm Rymer名で、デヴェンドラ・ヴァーマが企画した限定上製本 (1970) はThomas P. Prest名で出ています。この2つはいずれも絶版。Ayer社の復刻本は、Amazonで見る限り、現在でも入手可能のようです。 なお、昨年からWildside Press社からペイパー版による刊行が始まりました。現在、2巻まで出ています。未見ですが、おそらくこれは復刻ではなく、新たに活字を組んだものではないかと思われますが、最終的に何分冊になるのかは不明です。英語は大衆むけの読物ですから、19世紀のものとしては語彙や構文は比較的単純で、読み進むのにそれほど苦労はないと思います。とてつもなく長いですけど。
                                          (2001.8.9)

                        ※

中島晶也さんのご教示によると、なんとこの作品は電子テキスト化もされているようです。しかも無料で。よくぞこんなものまでと感心せずにはいられません。興味のある方はThe HumpMan's Homepageをご覧下さい。             (2001.8.12追記)

                        ※

その後、上記のWildside Pressのペイパー版を入手しましたが、各巻の分量からみて、おそらく全部で5巻本になるのではないかと思われます。予想通り新組で、いままでの復刻本よりも読みやすくなっていますが、挿絵が再録されていないのは残念。

マイクル・ホームズによる序文(解説)は、不思議なことに第1巻ではなく第2巻に付されていますが、〈ペニー・ドレッドフル〉 やその版元エドワード・ロイド、作者ライマーと 『ヴァーニー』 について簡潔にまとめています。それによると、『ヴァーニー』 は19世紀のうちに既にコレクターの夢ともいうべき稀覯書になっており、それを見つけるのはいわば 〈聖杯〉 探求にも似た難事だったといいます。20世紀に入っても事情は変わらず、1935年にモンタギュー・サマーズがデニス・ホイートリに送った手紙には、当時の金額で100ポンドで取引されていたとの記述があります。最近では、1996年にイギリスで行なわれたオークションで1700ポンドの値がついていますが、現在、もし状態のいいものがオークションに出れば、3000〜4000ポンドにはなるのではないかとホームズは云っています。

また、この序文では、恐怖物で大当たりを取った関係者のその後が紹介されていますが、これがまた明暗はっきりと分かれて、なかなかに興味をそそられます。ペニー・ドレッドフルの出版で莫大な財をなし、成功者の仲間入りを果たしたロイドは数種の新聞や雑誌を発行、その1つ 《ロイズ・ペニー・サンデー・タイムズ》 はのちに 《サンデー・ニューズ》 に発展します。晩年のロイドはその成功の礎を築いた昔の出版物を恥じ、人を雇って書店や貸本屋、喫茶店などからペニー・ドレッドフルを買い取らせ、これを廃棄させた、という話も残っているそうです。『ヴァーニ―』 の作者に擬されたこともあるトマス・プレストは悲惨な末路を迎え、ほとんど一文無しでロンドンの安下宿でのたれ死にをとげました。一方、ライマーのほうは、ロイドが 「お高い」 出版人に成り上がったあとも、他の出版社で大衆物を書きまくり、1884年に亡くなったとき、遺産は8000ポンドに達していたそうです。
                  (2001.9.1追記)

                        ※

Wildside Pressのペイパー版は予想通り全5巻で完結。1冊2500円ほどで入手可能。
                  (2002.11.4追記)

                        ※

 その後、Wordworth Editonsから、なんと£2.99という超廉価版の一冊本が刊行。500円以下で買える。(2010.6追記)


反古箱INDEX