没企画3 物語の世紀


企画書に日付の記入がないので、すこし曖昧なのだが、入社1年目の終りか2年目に入ったころのものだと思う。だとすると1985年か。若手社員 (全社員だったか) に企画書を出してみろ、というお触れが出てまとめたもの。事実上、初めての企画書である。意気込んで提出してはみたのだが、まったくかすりもしなかった。いま見返すと恥ずかしいやら懐かしいやら、押入れの隅から小学校の通信簿が出てきたような感じだ。ちょっと前なら、こんなのは絶対人に見せたくはなかったのだが、17年もたつと、もう別人が書いたようなものなので、とりあえずこのままお見せすることにする。あの頃はこんなことを考えてました (いまと全然変わってないじゃん、という声もあるのだが)。

企画書には、「物語の復権」 を謳った企画説明や、読者対象、売行見込、営業計画などの記載もあるのだが、さすがにこれはちょっと恥ずかしいので、作品リストだけあげておく。※青字は現在のコメント。

物語の世紀 19世紀英国文学叢書


1 『ピックウィック・クラブ遺文録』 1837 チャールズ・ディケンズ

サミュエル・ピクウィック氏を会長とするピクウィック・クラブ4人の珍道中を様々なエピソードをつらねて綴ったユーモア小説。恋あり冒険ありの前半から、後半ではピクウィック氏の巻き込まれた裁判事件を通して、ディケンズの筆は社会の矛盾や法律の不備への批判にまで及ぶ。大ベストセラーとなり、ディケンズの名声を確立した出世作。
※三笠書房で既訳があったが当時はすでに絶版。イギリスの国民作家ディケンズの作品中、今も人気の高い代表作の1つが日本語では容易に読めない状況が続いていた。三笠版の訳は後にちくま文庫に収録されたが、率直にいってあまり良い翻訳とは思えない。この作品に関してはいまも新訳を出す意義はあると思っている。本作や(8)のコリンズなどは、大学で教わった小池滋先生の影響大。

2 『シャグパッドの手剃り』 1855 ジョージ・メレディス

漱石に大きな影響を与えた 『エゴイスト』 で知られるメレディスのオリエンタル小説。アラビアン・ナイトの世界を舞台に、強力な魔法の力を持つ一本の髪の毛をめぐる奇想天外な物語。魔法の剣、精霊 【ジン】、姫君などが登場し、特異な幻想と美をたたえた新アラビアン・ナイトである。小泉八雲によって 「19世紀において、想像力によって生み出された寓話の中で最高のもの」 と称賛された名作。
※ 『シャグパッドの毛剃』 (国民文庫刊行会 『享楽主義者メイリアス(上・下)』、1927、に併録)、『アクリスの剣』 (童話春秋社、児童向抄訳、1931) がある。2005年、前者が学研M文庫 『暴夜幻想譚 ゴシック名訳集成2』 に再録された。訳者の皆川正禧は小泉八雲、漱石に師事した英文学者。

3 『バラントレイの若殿』 1889 ロバート・ルイス・スティーヴンスン

『宝島』 『ジーキル博士とハイド氏』 のスティーヴンスンの最高傑作。18世紀前半のジャコバイト党の叛乱を背景に、兄弟の宿命的な確執に端を発して、スコットランドで、北米大陸奥地で繰り広げられる激しい闘争の物語。中島敦に愛され、八雲、漱石ら、多くの作家によってその見事な文体を讃えられたスティーヴンスンの代表的歴史小説。
※角川文庫に翻訳があったが当時は絶版。後に岩波文庫から新訳が出た。「スティーヴンスンの最高傑作」 は大仰にしても、対照的な性格の兄弟が争いあう物語は暗い迫力に満ちている。

4 『高原平話』 1888 ラドヤード・キプリング

『ジャングル・ブック』 で知られ、1907年ノーベル文学賞に輝いた英国の 「国民的作家」 キプリングの代表的短篇集。大英帝国支配下のインドを舞台に、東洋の神秘や奇談、植民地における様々な事件、古きインドの信仰が西欧人に与える衝撃を描いた異国趣味にみちた作品集。
※怪奇小説ファンには 「獣の印」 や 「イムレイの帰還」 で知られていたキプリングだが、文学界一般では、大英帝国主義・植民地差別と結びついた旧式の、批判されるべき作家として、ながく等閑視されていた。本国で再評価が行なわれ始めたのも、むしろ近年に属する。この作家の短篇にはいまでも興味はあるのだが、キプリングの英語は誰に聞いても難しいという。その後、『キプリング短篇集』 (岩波文庫)、『祈願の御堂』 (国書刊行会) も出たが、まだまだ面白い作が残っているはず。

5 『飛竜亭 (ドラゴン・ヴォラント) の部屋』 1872 J・S・レ・ファニュ

贋ダイアモンドをめぐる陰謀スリラー。若き主人公が美人の毒婦に古代から伝わる眠り薬を盛られて陰謀に巻き込まれていく過程が息もつかせぬサスペンスの連続のうちに語られる。レ・ファニュはアイルランドを代表する作家で、ブロンテ姉妹、ジョイスへの影響も云々される。
※レ・ファニュ晩年の傑作集 『鏡の中におぼろに』 におさめられた中篇。超自然的な要素はないが、長篇においてはスリラー・サスペンス小説の大家であったレ・ファニュの本領が発揮された作品。ドラッグ小説の先駆でもある。上の紹介文はほとんど平井呈一の 『吸血鬼カーミラ』 (創元推理文庫) 解説からの転用。これはいまでもやってみたい作。
【追記。2017年1月、『ドラゴン・ヴォランの部屋』 として創元推理文庫から刊行。この企画書から30年後にようやく実現した】

6 『吸血鬼ヴァーニー』 1847 トマス・ペケット・プレスト

ヴィクトリア朝に大流行した大衆読物文庫ペニー・ドレッドフルの最大傑作。可憐な令嬢フローラを脅かす不気味な吸血鬼の影。あばかれた過去の秘密と陰謀。謎が謎を呼び、疑惑が流血を引き起こす。殺人、決闘、恋愛、恐怖、冒険、神秘を盛り沢山に織り込んだ19世紀最高最大のスリラー。
※ディケンズ、メレディス、スティーヴンスンと 『ヴァーニー』 を並べてしまうあたり、滅茶苦茶である。途方もない長さのこともまったく考えてない。とにかく、ただ出したかった(読みたかった)んだね。ずっとあとに単行企画として企画書をまとめたことがあるが未提出。なお、現在では作者=マルカム・ライマー説が有力になっているが、この企画書では復刻版の編集にあたったヴァーマにならってプレストを作者としている。

7 『モンテズマの娘』 1893 H・R・ハガード

中南米メキシコのアステカ帝国を舞台に、皇帝モンテズマとその娘、スペインから渡来した征服者コルテスとその一党が入り乱れる雄大な歴史ロマン。雄渾な筆致と奔放な想像力で描く、巨匠ライダー・ハガードの不滅の大冒険小説。
※東京創元社 〈世界大ロマン全集〉 に既訳あり (もちろん絶版)。3・7・9と既訳の再刊が可能なタイトルを混ぜているのは、早期刊行の可能性を考慮した結果だろう。他の内容紹介の中で漱石や八雲のように、誰でも知ってる名前をやたらに引き合いに出しているのも、ほとんど海外物の知識のない社上層部へのアピール。

8 『無名』 1862 ウィルキー・コリンズ

法的に子供として認められないため、父親の財産を叔父に奪われた若き女主人公の戦いの物語。社会の 「法」 と 「良識」 を敵にまわして、社会制度の矛盾に真っ向から挑戦する女性を描いて、20世紀を先取りした問題小説。『白衣の女』 『月長石』 で英国探偵小説の始祖と呼ばれるコリンズの 「社会派」 推理小説。
※最近、『ノー・ネーム』 (臨川書店) として翻訳された。これも小池滋先生の 「探偵小説史」 の講義 (こんな講座がある学校だった) で取り上げられたもの。『城と眩暈』 (国書刊行会) にも紹介がある。まさか、翻訳が出るとは思わなかった (しかも小池滋訳)。

9 『白魔』 1899 アーサー・マッケン

世紀末の魔都ロンドンを彷徨する 「最後のロマン主義者」 マッケンの神秘的な自然への畏怖に満ちた中篇集。太古の妖魔の生き残りが昏い影をおとす 『白魔』 『赤い手』、戦時下の不安な状況下で、原因不明の奇怪な事件が次々に起きる 『恐怖』 他を収録。
※平井呈一訳 《アーサー・マッケン作品集成》 (牧神社) から再録を考えていた。マッケンはもっと読まれてもいいと思うけど、このへんはもう、『真夜中の檻』 を出した創元推理文庫におまかせかな。

10 『驚異の物語』 1912 ロード・ダンセイニ

宝石ばかりを盗み続けた盗賊王の最後の冒険、花嫁を略奪するケンタウロス、世界の海をまたにかける海賊たちなど、大胆不敵な盗賊たちの数奇な運命譚を集めたダンセイニ卿の珠玉の作品集。
※「19世紀英文学」 といいながら20世紀の本が入っている。いいかげんである。『ダンセイニ幻想作品集』 (創土社) を読んでいて、『ぺガーナの神々』 系列の神話・妖精譚もいいけど、ヒロイック・ファンタジー系統、冒険小説的な作品も面白いじゃないか、と思ったのがもとになっている。
※追記:2003年になって 『驚異の物語』 を含むダンセイニ短篇集がオリジナルのかたちで河出文庫から次々に刊行され始めた。


【解説】

 ピックアップした作品自体については、いまでも十分面白いと思っているし、事実、その後新訳や初訳が出たタイトルもあるのだが、企画全体としては、無謀というかバランスが悪いというか、まったく相手にされなかったのもうなずける。第一、〈物語の世紀〉 という曖昧かつ薄味のシリーズ名がよくない。受けをねらうなら 〈大ロマン全集〉 くらいはぶち上げとくべきだった。あとは 「英国」 にこだわらず 「世界」 のほうがよかったかも。既訳の活用も、当時はそのほうが通りやすいと思ったのだが、いまみると腰が引けてる。インパクトを考えれば全巻新訳でいくべきだろう。バランスの悪さは――これはどうしようもない。また、自分ではそうは思っていなかったが、すでに刊行が進んでいた 〈ゴシック叢書〉 〈世界幻想文学大系〉 との違いが 「上」 の人にはわかりにくかったのでは、とも思う (とくに 〈ゴシック叢書〉 は売れなかった、という会社的記憶があったわけだし)。まあ、こんなところでいまごろ反省会をやったところで仕方がないわけだが。

 〈物語の世紀〉 は結局、思いつきをただ並べただけの企画でしかなかったが、自分が読者だったら読みたいと思うようなものを出す、という考え方自体はいまも変わっていない (編集者はみんなそうだと思う)。細かいところは (たぶん) ヴァージョンアップされているはずだが、基本的には、十数年、同じことを繰り返しているような気もしないではない。

                                                (2002.4.29)

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