《 高 山 宏 写 真 館 》


「三十一か三十二か、とにかくこの前後に澁澤龍彦宅に赴いており」 「『アリス狩り』 が出る少し前。その頃から日中は黒眼鏡が多くなったはずだから、裸眼悪魔の 「超レア」 写真」

澁澤宅訪問は 《バルトルシャイティス著作集》 (国書刊行会) 企画の打診のため (澁澤氏逝去のため叶わなかったが、『アベラシオン』 は当初、澁澤・種村共訳の予定だった)。『アナモルフォ―ズ』 訳者あとがきによると、「二十代終りのこと」 とあるから1976-77年頃か。
高山先生の最初の本 『アリス狩り』 (青土社) は1981年の刊行。このとき34歳。
個人的な話をすれば、当編集室が都立大に入って高山先生の 「選択英語」 を取ったのが1980年で、そのときにはもう黒眼鏡だった記憶があるから、写真は1970年代の終わり頃かもしれない。
ちなみに 「選択英語」 のテキストは、マーティン・ガードナー詳注 《The Annotated Alice》。毎回脱線に次ぐ脱線。ノンセンスと数学、地下世界、宿命の女、探偵小説、メスメリズム、迷宮、光学魔術……そして 「これは名著!」 という得意のフレーズとともにくりだされるサイファー、ホッケ、プラーツ、バフチーン、バルトルシャイティス、澁澤、種村といった名前。黒眼鏡の人がくりひろげる過激な 「知」 のワンダーランドに、大学の英語って面白い、と思ったのだった。(すぐにこのコマが 「特別」 だったことに気づくのだけれど)




                    《 高 山 宏 写 真 館 2 》


おそらく1992-93年頃 (40代半ば)。小野寺由紀さんと。

ありす嬢と。

写真に添えられたコメントは 「ここから小生の地獄の日々、開幕。終りのはじまりっ!」
とてもそういう光景にはみえませんが、この間の事情に関しては高山宏ファンならすでにご存じのはず。当時刊行された 『テキスト世紀末』 (ポーラ文化研究所、1992年11月刊) のあとがきにも 「おそらくぼくの今までの生涯で、最も多事多端、苦しみぬいたこの一年」 とあります。

しかし、この頃の高山先生は、人文系雑誌や書評紙にとどまらず女性誌からPR誌まで、様々な媒体に精力的に書きまくっていて (二つの家庭を支えるため、という事情もあったのですが)、その一部は後に1200頁近い(地獄のような)大冊 『ブック・カーニヴァル』 (自由国民社) にまとめられることになります。

その頃の当編集室は、念願のバルトルシャイティス著作集 『アナモルフォ―ズ』 (高山宏訳、国書刊行会、1992) を上梓し、高山宏責任編集 《異貌の19世紀》 全6巻 (国書刊行会、1993-1997) の準備に入っていたところ。一方で 《クライム・ブックス》 《探偵クラブ》 でミステリ企画に手応えを感じていた時期でもありました。




                    《 高 山 宏 写 真 館 3 》

  
これは写真に日付がある。2007年8月24日、上野の国立西洋美術館。ロダンの地獄の門―― 「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」 ――の前に立つ59歳の 「学魔」。
『雷神の撥』 (羽鳥書店) 巻頭にモノクロ版で掲載されているのでご覧の方も多いはず。
      
「首都大学東京を捨てる年」 と写真に添えられたコメントにあるように、翌2008年春、東京都立大学時代から四半世紀にわたって勤めた首都大学東京を離れ、明治大学に創設された国際日本学部に移る。さらに2014年には大妻女子大学比較文化部に。
      
この2007年には 『近代文化史入門』 (講談社学術文庫) と 『超人 高山宏のつくりかた』 (NTT出版) を刊行。
『奇想天外・英文学講義』 (講談社メチエ、2000) の改題文庫化である 『近代文化史入門』 は、語り下ろしによる平易なスタイルと、『殺す・集める・読む』 以来の手に取りやすい文庫版ということで、新たな高山宏読者を獲得、その後も版を重ねて、現在はKindle版もある。
『超人 高山宏のつくりかた』 は、英文蔵書5万5千冊の索引カードを延々作り続けた東大教養学部の助手時代から、現在までの個人史を、マニエリスム、ノンセンス、観念史、パラドックス、 ピクチャレスク、道化、翻訳など 「高山学」 の中心となる主題と共に語り、さらに由良君美、高橋康也、篠田一士、澁澤龍彦、種村季弘、荒俣宏、山口昌男ら、ゆかりの人々との関係を綴って、その赤裸々な内容がファンの間でも話題となった奇書。
ちなみに帯に 「学魔降臨」 とあり、本文も 「学魔口上」 から始まる。学生から付けられた綽名を御本人が面白がって使いだしたという 「学魔」 の肩書 (?) が広まり始めたのも、この頃からではなかったか。
そういえば紀伊國屋書店の 《書評空間》 でWEB連載 〈高山宏の 「読んで生き、書いて死ぬ」〉 がいきなり始まり、「学魔、インターネットに降臨」 のニュースが駆け巡ったのもこの年。
伝説の由良君美ゼミをとりあげた四方田犬彦氏の話題作 『先生とわたし』 (新潮社) にも登場、四方田氏とトークイベントも行なっています。

当編集室では2006年末に高山宏訳 『ボディ・クリティシズム』 をようやく上梓。「MITから凄い本が出た、是非紹介したいから版権を取ってほしい」 と言われてから十数年、まさに念願の邦訳完成だった (遅れに遅れた理由の大きなものに、90年代後半から00年代にかけての首都大再編騒動がある)。その後、『パラドクシア・エピデミカ』 冒頭の訳稿200枚ほどが 「どこかでやれないか」 といきなり送られてきたのは2009年だったか。今度は同じくらいの大著が1年ほどで訳了となった。



                    《 高 山 宏 写 真 館 4 》

  
2008年1月13日、横浜美術館 「ゴス展」 のトークイベントに出かけた時の一枚。御年60歳。ちなみにそのときのお題は「ゴシックな身体――"Body Criticism"に抗って」。この 「ゴス展」 に寄せた当時の文章がネットに残っています (「物語としてのキュレーション」)。

写真に添えられたコメントは 「黒服、黒眼鏡が四十年間のトレードマーク。やっぱり落ち着くなあ。」
三十数年前、(目黒時代の) 都立大の教室に現れた時も、やはり黒づくめでした。(黒いロシア帽のようなものをかぶっていた記憶も)
この年の春、首都大学東京を離れ、明治大学に移籍。2月5日に首都大で行なわれた最終講義は一般公開されたこともあって、超満員の盛況でした。

この写真は 『風神の袋』 (羽鳥書店、2011) に掲載されています。

この頃の当編集室は、河出書房新社の 《KAWADE MYSTERY》 を中心に、タイモン・スクリ―チ 『江戸の大普請』 (講談社) を手伝ったり、カヴァン 『氷』 復刊 (バジリコ) を進めたり。この年の2月に 『殺す・集める・読む』 重版。秋には再校段階まで進んでいた高山宏訳/サイモン・シャーマ 『レンブラントの目』 (河出書房新社) の編集を引き継ぐことに。



                   《 高 山 宏 写 真 館 5 》

2010年、水族館劇場 《恋する虜》 に 「出演」。62歳。

「空飛ぶ学魔」

原稿用紙に独特の 「タカヤマ文字」 で黒々と綴られた直筆コメントもあわせてご紹介。千枚超の翻訳原稿もこんな感じの手書きでいただいています。(ふつうは縦書き・200字詰の原稿用紙を使用)


 

コメントにあるように、大学を離れた場所での講演、トークイベントも、この時期、積極的に行なっています。下は2011年11月に紀伊國屋サザンシアターで行なった 『風神の袋』 『雷神の撥』 (羽鳥書店) 刊行記念トークイベント。舞台上を歩き回りながら、ダニエル・デフォーがいかに 「歩く人」 だったかを語りだし、無頼の徒ならぬ 「口舌の徒」 の本領発揮、圧倒的な2時間のパフォーマンスでした。(実際には予定終了時間を大幅に超過して喋りつづけ、舞台袖でみていた担当者をはらはらさせたといいます)


紀伊國屋本店の画廊では高山宏展も同時開催。書棚と仕事場を会場に再現。膨大な手書きの書誌ノート 「ビブリオ・マシン」 公開が評判に。

2010年5月、水族館劇場で高山先生が空を飛んでいた頃、当編集室は、出来た分から100枚くらいずつまとめて送られてくる高山訳ロザリー・コリー 『パラドクシア・エピデミカ』 の訳稿に、せっせと組版指定を入れていた。訳了したのはこの年の12月25日。200字詰め原稿用紙で2040枚が机の上にうずたかく積み上がった。
年明け早々には白水社に組入れ。初校の校正を終えたところで、あの 「3月11日」 がきた。(個人的な事情だが、2010年の年末に足指の骨を折り、3ヶ月余りギプス生活を強いられていた。人生初骨折。ようやくギプスを外せたのが3月10日、地震の前日だった)
『パラドクシア・エピデミカ』 は2011年6月刊行。



                    《 高 山 宏 写 真 館 6 》

上でご紹介した2011年11月に新宿・紀伊国屋画廊で開催された 《高山宏 「学問はアルス・コンビナトリアというアート」 展》 で、会場に書棚と机を再現するための資料写真。64歳。


  

 
2011年12月に刊行された 『夢十夜を十夜で』 (羽鳥書店) は、漱石 『夢十夜』 を一話ずつ学生と読む授業を再現した態の本。(授業そのままでは勿論ないのですが、教室の様子の一端を伝えているのでは)

2011年の当編集室は、6月に 『パラドクシア・エピデミカ』 (白水社) を上梓、少部数ながら重版もして、この年の12月には 《高山宏セレクション/異貌の人文学》 の企画書を白水社に提出している。中心となるのは 『パラドクシア』 と共に、高山先生長年の宿願でもあったシューエル 『オルフェウスの声』 新訳に、かつて都立大の教室で教わった名著 『文学とテクノロジー』 『ノンセンスの領域』 の復刊。
 


                    《 高 山 宏 写 真 館 7 》



 

 

 

 

   

1990年代、西新宿の常円寺近くのバー 〈火の子〉 で、年に一度開かれていた 〈高山会〉。いつもは年度末が多かったが、この1995年は1200頁の大冊 『ブック・カーニヴァル』 (自由国民社) 刊行記念、ということで6月末の開催に (奥付の日付は7月1日)。
人が人を呼んでついに店に入りきらなくなり、階段まで人があふれた年も。このあと皆で三丁目まで歩いてburaで飲みなおす、というのが例年のコースだった。

1995年の当編集室は、前年11月に始まった 《世界探偵小説全集》 に専念しつつ、一方で高山宏責任編集 《異貌の19世紀》 叢書も刊行中だった。国書に入って10年がすぎ、企画の面ではある程度好きなことが (ようやく) やれるようになっていたが、このままでいいのかなあ、とぼんやり考え始めていた頃。
決心して独立提案書を社長に提出したのが翌96年の暮れ。もうじきそれから20年になる。



                    《 高 山 宏 写 真 館 8 》

  

  

  

〈火の子〉 が閉店した2002年の当編集室は、1月に高山宏推理小説論集 『殺す・集める・読む』 (創元ライブラリ) を上梓。巻頭の表題エッセーは、学生時代に出会って、探偵小説をこんなに深く、面白く読めるのかと衝撃を受けたシャーロック・ホームズ論。童謡殺人を取り上げた 「終末の鳥獣戯画」、切り裂きジャック、クリスティー、チェスタトン、江戸川乱歩、小栗虫太郎論まで、アカデミズムの側から探偵小説を論じて、これ以上のものはいまだに出ていないと確信している。



                    《 高 山 宏 写 真 館 9 》

  

     
                            

                    《 高 山 宏 写 真 館 10 》

 

 

       2003年年賀状

       2014年年賀状



                  《 高 山 宏 写 真 館 11 》


《「ばさら」 と呼ばれることをめざして生きてきた。「けれん」 も悪くないが、「ばさっ」 とか 「ばらばら」 といった荒涼の音感に颯々とつつ抜けの 「ばさら」 が好きだ。
 退屈で時々死にたくなる。テディウム・ウィタエ tedium vitae という奴だ (「青い悪魔」 ともいう)。何かに没入して忘れられるようなやわな倦怠とは強度がちがう。
 そういう時、人の意表を突く愚挙に出る。周りに生じる異変が面白くて数週間は 「生きてる実感」 が微風のように吹いてくる。そういう驚異が恩寵と感じられた瞬間の名作二点! 人口にカイシャ、皆に喜ばれた二枚。恥知らずの贈り物!       ――高山宏》


               
        水族館劇場にて。「蜘蛛手の森」 にでも出没しそうな妖気漂う一枚。

         
                 某週刊誌の企画で。撮影 神藏美子

                    

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