マズッターの自己紹介
ニックネームの由来;ラジコンの製作、操縦をマスターしたいのだがなかなか奥が深くてマズッテばかり。
早く皆さんのようにうまくなりたいとの願いを込めてつけました。
ラジコン歴;41年
その他の趣味;釣り全般、ガーデニング、フライトシュミュレター等。
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2009飛行日誌はこちら
小学校6年瀬のころ近くの県営野球場に野球を見に行きました。そのアトラクションにラジコン飛行機のデモフライトがありました。私の近くに着陸してタキシングをして停止しました。その時は、かっこいいなーと思った程度でした。
中学生になると親戚のおじさんがUコン(エンジン付き飛行機を自分を中心とした半球面を遠心力で飛ばしワイヤーでエレベーターをコントロールする)をしていることを知りました。そのおじさんからエンヤの29エンジンを取り外した古い機体をもらい眺めていました。
この頃から飛行機を飛ばしてみたいと思うようになりました。自分の小遣いでフジ099エンジンと機体を買いました。機体は棒の胴体に翼がついたもので名前は忘れてしまいました。エンジンをブレークインするために裏の田んぼで回していました。
そろそろ当たりがついたので親戚のおじさんに飛ばしてもらうことにしました。近くの小学校のグランドで初飛行に成功しました。その後、エレベーターを洗濯バサミで挟んでオーバーコントロールしない方法を教わりぐるぐる目が回るほど練習しました。
次に「飛燕」を買ってぐるぐると飛ばしました。近所迷惑だったのに誰も文句言ってくる人はいませんでした。その「飛燕」も宙返りに挑戦して見事に失敗してばらばらになってしまいしばらく休止としました。
中学3年生で無線操縦によるラジコンを始める事になりました。小川精機(OS)から出ていたシングルプロポを小遣いで買いました。1chがプロポーショナルでエンジンコントロールはボタン打ちです。高、中、低と順番に変わっていきます。機体はパイロットjr100でした。エンジンはエンヤの09スロットルコンロールができるキャブが付いています。
この当時、飛行機がどのように飛ぶのか、ラジコン機の操縦方法はどのようにするのかは知りませんでした。無謀といえば無謀でしたが、裏の田んぼで手投げ発進しましたがこの時は運良く飛びませんでした。50円の木製プロペラが折れたので後日町の模型屋で購入しました。
その後、何回か手投げで離陸をしましたが失敗の連続でした。親戚のおじさんに連絡して飛ばしてもらうことにしました。Uコンを飛ばしたグランドに行き地上から離陸するとスムースに上昇していきました。おじさんもラジコンの経験はなく旋廻方法がわからないみたいで、飛行機は宙返りをはじめました。どんどん風に流されながら宙返りを繰り返しています。そのうちに校舎の裏に墜落したようです。回収に行くと機体はばらばらでした。
後日、近くの河川敷に町の模型屋さんがラジコンクラブを作って飛ばしているとの情報を聴いて自転車で見学に行きました。そこでラジコン機がビンビンと飛んでいるのを見て本格的に始めたくなりました。学生なので模型屋さんのご好意で無料で会員にしていただきました。
その模型屋さんから工藤模型のアトラスキャビン15とOS15エンジンを購入しました。クラブ員の指導をいただき上空で操縦できるようになりました。その後、一人で着陸に挑戦して何とか着陸ができたときは本当にうれしかった。この頃からラジコンにはまりだしたと思います。
この頃から新聞配達をした金をつぎ込んでKOの3chとパイロットACE303(OS35)へとはまっていきました。この機体は電線に引っかかって取るのに電力会社の人にしかられました。結局は川に着水して使えなくなってしまいました。
高校生になって田舎のトルクローラー「麻ちゃん」と同級生になりました。この時期はマイクロスペースのエアロコマンダー4chを使っていました。ムサシノ模型のリトルホーク、パイロットの名前を忘れてしまいましたが202を飛ばしていました。
社会人になって大阪に住むことになりました。給料をためて念願のKO デジエース 5ch、MKサンダーバード40、OS H40Pを買って山中の造成地(今はすごい住宅街になっている)、河川敷で飛ばしました。
1年して東京に転勤になって今入っているラジコンクラブに入りました。そこではパイロットのエアロスバルを作りましたが離陸後失速ですぐにばらばらになって廃棄しました。5秒ほどの飛行時間でした。
1年半後に北海道に転勤になりました。ここではクラブを作って飛ばしました。春から秋までは牧草地の農道で自由に飛ばすことができました。しかし、冬になると吹雪いてきて機体は見えなくなるし、指がかじかんで感覚がなくなってくるので大変でした。この頃はエンジンの精度、燃料のニトロが低いので始動するのも一苦労でした。時々シリンダーヘッドに燃料を掛けて燃やして暖めてから始動することもしました。スキーを自作してタッチアンドゴーを繰り返し練習した記憶があります。
また、東京に戻り埋立地で地元の人たちと同好会を作り場所を変えながら飛ばすことができました。この頃から場所がなくなり、ヘリコプターを始めました。近くの空き地で練習に行くも離陸して着陸でテールを打ってすぐかえるを繰り返していました。16リットル缶を3ヶ月で使い切っていました。壊れた部品も山のようになりました。
大阪に転勤になり、そこでも飛行機とヘリコプターを飛ばしていました。この頃は腕も上達していて壊すことはなくなりました。
またまた、東京に戻り、今入っているラジコンクラブに再入部しました。このホームページも勉強して作ってみました。なかなか向上して皆さんのように綺麗にはできませんが少しづつ手直しをしていきたいと思います。
最近では電動が飛躍的に向上し、場所の選定にもエンジン機と比べると広がるのと、環境にもやさしそうなので始めることにしました。しかし、始めてみると奥深いものがあります。こうなると益々はまりそうです。
岡山に転勤になり2年が経過しました。岡山ではラジコンと旅行を楽しんでいます。仕事が忙しくなり、ラジコンはクラブに行く機会が少なくなりました。休日が合えば今後も地元のクラブの人と安全にマイペースで楽しみたいと思います。旅行も中国四国地方は見所がたくさんあるのでたっぷりと楽しみたいと思います。